1970年、まだ無名のモデルだったにもかかわらず、資生堂初の男性用化粧品「MG5」のCMに抜擢されたことで、たちまち脚光を浴びた、草刈正雄(くさかり まさお)さんは、その後、俳優転向に成功し、二枚目俳優として、順調にキャリアを積んでいきます。

「草刈正雄は昔CM「資生堂MG5」(男性用化粧品)で大ブレイクしていた!」からの続き

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篠田正浩監督作品「卑弥呼」で映画デビュー

1970年、18歳の時、資生堂初の男性用化粧品「MG5」のCMに抜擢され、脚光を浴びると、みるみるうちに人気が急上昇した草刈さんは、その後2年ほどファッションモデルとして活動すると、1973年には、「トリプル捜査線」の新人刑事役でテレビドラマデビュー。

1974年、22歳の時には、篠田正浩監督からオファーを受け、映画「卑弥呼」で主演の岩下志麻さんの弟役に起用され、俳優としても脚光を浴びます。

(上京した当初は、不安で仕方なかったのが、人気が上がるにつれて、だんだん自信がついていったそうです)


「卑弥呼」より。

「卑弥呼」は交通事故を起こしたことがきっかけで起用されていた

実は、草刈さんは、19歳の時、交通事故を起こし(相手の方は命は助かったそうですが)、その後、仕事が手につかなくなってしまっていたそうで、いっそのこと、仕事を辞めて、その人が入院している病院の近くに住みたいと思い、その旨、事務所の人に話したことがあったそうですが、

そのことがマスコミによって美談として取り上げられたそうで、その記事を見た篠田監督が、映画「卑弥呼」の岩下志麻さんの弟役に起用してくれたのだそうです。

俳優転向に成功

すると、その後、岩下さんのマネージャーが草刈さんを推薦してくれ、出目昌伸監督映画「神田川」(1974)で、関根恵子(現・高橋惠子)さんの相手役に抜擢されると、「東宝」と専属契約を結ぶこととなり、


「神田川」より。草刈さんと関根恵子(現・高橋惠子)さん。

続けて、出目監督映画「沖田総司」(1974)、


「沖田総司」より。

岡本喜八監督作品「青葉繁れる」(1974)と出演すると、


「青葉繁れる」より。

1976年、24歳の時には、NHK大河ドラマ「風と雲と虹と」で、加藤剛さん演じる平将門の側近役・鹿島玄明を好演。


「風と雲と虹と」より。

そして、その後も、今井正監督作品「あにいもうと」(1976)、


「あにいもうと」より。草刈さんと秋吉久美子さん。

市川崑監督作品「火の鳥」(1978)など、


「火の鳥」より。

名だたる監督の作品で、次々とメインキャストにされ、

草刈さんは、

この頃、演じることの喜びがどんどんわかってきて、充実感を感じ始めるとともに、自信をつけていきました。

と、語っています。

(今でこそ、モデルが俳優に転身することは珍しくありませんが、当時はほとんどなく、草刈さんはそのさきがけ的存在でした)

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「復活の日」「汚れた英雄」で人気絶頂に

そんな草刈さんは、その後も、当時、全盛を極めていた角川映画からオファーを受け、1980年、映画「復活の日」で主演に抜擢されると、映画は大ヒットを記録。

(1978年にオファーを受けたそうですが、その時は、飛び上がって喜んだそうです)

ちなみに、この作品、総製作費25億円、南極を含む海外ロケだけで半年以上という、スケールの大きな映画で、南極でのロケは過酷を極めたそうですが、

草刈さんにとって、オリビア・ハッセーさんをはじめ、様々な国籍の俳優やスタッフと仕事ができたことは、とても得難い経験だったそうです。


「復活の日」より。

そして、1982年、映画「汚れた英雄」では、生まれ持った美貌と肉体で次々と女性を虜にし、スポンサーにしていく、二輪レーサー役という、草刈さんの魅力を余すことなく体現した主人公を熱演し、人気は絶頂期を迎えたのでした。

「草刈正雄は30代になり仕事が激減していた!」に続く


「汚れた英雄」より。

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