俳優に転身後は、名だたる監督の作品で、次々とメインキャストを務め、映画「復活の日」(1980)、「汚れた英雄」(1982)で人気絶頂となった、草刈正雄(くさかり まさお)さんですが、30代に入ると、仕事が激減したといいます。
「草刈正雄が若い頃は「復活の日」「汚れた英雄」で人気絶頂に!」からの続き
30代になると仕事が激減
20代の時は、西洋人風のルックスがもてはやされる時流にも乗り、そのルックスを活かした、かっこいいヒーローとして、映画やテレビドラマで次々と主役を担い、絶大な人気を博した草刈さんですが、
「汚れた英雄」の撮影が終わった頃くらいから、映画の仕事が徐々に減っていったそうで、30歳を過ぎると、主役から、2番手、3番手、4番手・・・と役がどんどん小さくなっていき、
さらには、現場で、「もう草刈じゃないな」という雰囲気が漂い、実際、「いまさら草刈ねえ・・・」という声も聞こえてきたそうで、
後に、草刈さんは、仕事が減少した理由を、
そもそもが自業自得。いい仕事をさせてもらって天狗になっていた。やりたいことを強引に通そうとしたりね。
友達と遊びほうけていたから悪い噂も出ていたんでしょう。「あいつ、使いにくい」ということになって、仕事がみるみる来なくなっていきました。来たとしても、もう主役ではない。役がどんどん小さくなっていく・・・
と、語っています。
荒れた生活を送るも仕事はコツコツと続けていた
そして、やがては、そんな状況に気持ちが腐り、やけ酒をあおる日々を送るようになっていったそうですが、仕事だけは、「何があっても、どんな立場になってもこの仕事だけは辞めない」との思いで続けていたそうです。
というのも、学歴もなく、かといって、商売のセンスなどもない(と、自分で分かっている)ため、ほかの仕事などできるはずもなく、ただ、経済的な理由だけで、芸能界の仕事にしがみついていたのだそうです。
とはいえ、オファーがなければ、成り立たない仕事なことから、どんなに小さな役でも、しがみつくようにコツコツと続けていったのだそうです。
若尾文子の助言で舞台に出演
すると、ある日のこと、そんな草刈さんの状況を見抜いていたのか、テレビドラマで共演した若尾文子さんから、
あなた、舞台やりなさいよ
と、言われたそうで、
演技の勉強をしたことがなかった草刈さんは、(実力が問われるであろう)舞台などは考えられないことだったそうですが、
若尾さんに、
たっぱ(身長)もあるし、映えるかもしれないじゃない。簡単に考えればいいのよ
と、言われ、
実際、仕事に困っていたこともあり、思い切って、その助言に従い、1984年、「ドラキュラその愛」で初舞台を踏むと、案の定、とても大変だったそうですが、3時間の舞台をやりきったことが自信となり、何より、舞台が好きになったのだそうです。
ただ、舞台ではメインキャストを務め、充実感を得るも、映画では、相変わらず小さな役ばかりだったことから、若い時は主役をやっていたという良い記憶もあり、どこかさみしい気持ちが拭いきれなかったそうで、そんなくすぶるような気持ちを抱えたまま、気がつくと、50代も過ぎていったのだそうです。
「草刈正雄は三谷幸喜にコメディの才能を見い出されていた!」に続く
「ドラキュラその愛」より。草刈さんと紺野美沙子さん。