2010年、TBSにアナウンサーとして入社すると、主に、スポーツキャスターとして国際的な取材で活躍するほか、2014年には、兄の石井大貴さんと兄弟ユニット「Well stone bros.」でメジャーデビューしたり、ラジオ番組「High School a Go Go!!」でパーソナリティーを務めるなど、多方面で活動している、石井大裕(いしい ともひろ)さん。

そんな石井大裕さんは、教育者だったお父さんとお母さんのもとに誕生すると、6歳でテニスを始め、小学6年生の時には、東京都ジュニアテニス大会(12歳以下部門)で優勝し、10代の頃は、単身、世界を転戦していたといいます。

今回は、石井大裕さんの生い立ち(幼少期から大学時代まで)をご紹介します。また、身長や英語力にまつわる話もご紹介します。

石井大裕

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石井大裕のプロフィール

石井大裕さんは、1985年6月5日生まれ、
東京都大田区の出身、

血液型はA型、

学歴は、
慶応義塾大学幼稚舎(小学校)
⇒慶應義塾高等学校
⇒慶應義塾大学法学部政治学科

(慶応義塾大学幼稚舎出身の有名人は、石井大裕さんの師匠の松岡修造さん、櫻井翔さん、石原良純さんほか数多くいるそうです)

趣味は、読書・音楽鑑賞、

特技は、テニス、

だそうです。

石井大裕の身長は?

ちなみに、石井大裕さんは、身長185センチ(体重73キロ)と、非常に長身なのですが、TBSの営業局員であるお兄さんの石井大貴さんは、さらに長身の192センチだそうで、

2014年には、巨大兄弟ユニット「Well stone bros.」としてメジャーデビューすると、ロッテ岡田幸文選手の登場曲「OVERCOME」や駅伝テーマ曲などを手掛けるほか、台湾でも活動音楽をしていました。

石井大裕と石井大貴
石井大裕さん(左)と石井大貴さん(右)。

石井大裕は小学6年生の時に東京都ジュニアテニス大会で優勝していた

石井大裕さんは、「石井学習塾」を経営していたお父さんの石井丈博さんと、台湾人のお母さんのもと、2人兄弟の次男として誕生すると、

6歳の時にテニスを始め、小学6年生の時には東京都ジュニアテニス大会(12歳以下部門)で優勝したそうで、

元プロテニス選手の松岡修造さんが主催する「修造チャレンジトップジュニアキャンプ」に選出され、主将を務めたそうです。

(石井大裕さんは、同時期、錦織圭選手ともジュニア時代を共にしていたそうですが、当時の錦織圭さんにとっては、石井大裕さんは憧れの先輩だったといいます)

石井大裕は16歳の時にITFジュニアサーキット大会を転戦していた

そんな石井大裕さんは、2001年、16歳の時には、ITFジュニアサーキット大会を転戦していたそうです。

(この頃、陸上・棒高跳びの世界的選手セルゲイ・ブブカさんの家に居候していたそうです)

石井大裕は17歳の時に世界スーパージュニアでベスト4に進出していた

そして、2002年、17歳の時には、「世界スーパージュニアテニス選手権大会」に出場すると、セルゲイ・ブブカJr.さん(セルゲイ・ブブカさんの息子)と組んだダブルスでベスト4に進出するほか、

タイの「国際ジュニア大会ダブルス」では、ジェイミー・マレーさん(後のウィンブルドンダブルス王者)と組んで優勝したそうです。

石井大裕は高校3年生の時に全日本ジュニア選抜室内テニス選手権シングルスで準優勝していた

また、石井大裕さんは、2003年、慶応義塾大学高等学校3年生の時には、全日本ジュニア選抜室内テニス選手権シングルスで、ノーシードながら準優勝を果たしたそうです。

石井大裕は大学在学中の21歳の時にケガによりプロテニスプレイヤーを断念していた

そんな石井大裕さんは、慶応義塾大学高等学校卒業後は、慶應義塾大学に進学したそうですが、

アマチュアテニスプレイヤーとして、海外ツアーを転戦するため2年間休学し、単身、イタリアを拠点に、世界のトーナメントを転戦したそうで、

モロッコやトルコなど治安の悪い地域では、銃をつきつけられ、

もう、撃たれないようにお金をひたすら渡す。タクシーに乗って、知らない間に森の辺りに連れて行かれまして、「ちょっとお前、脱げ」と。運転手に。

洋服を脱ぎ、それをあげ、お金あげて、時計あげて、「でもお願いだから、ラケットと靴だけは持っていかないでくれ」と言って何とかそっから逃げるわけです。裸でラケットだけ持って、下山するわけです。森の中から。6回ありました。色んなところで・・・

と、身ぐるみ剥がされた経験を何回もしつつ、世界ランク入りも果たしていたそうですが・・・

ケガに悩まされ、2006年、21歳の時には、プロテニスプレイヤーへの道を断念したのだそうです。

石井大裕は22歳の時にアメリカや中南米のメジャーリーグの取材に行ったことがきっかけで報道の仕事に興味を持つようになっていた

こうして、その後、石井大裕さんは、様々な葛藤(かっとう)や悶々(もんもん)とした思いがある中、復学を決意し、大学に戻ると、いろいろなことに挑戦していたそうですが、

2007年、大学生活のかたわら、アメリカでTBSのスポーツ番組「J-SPO」の契約スタッフ(アシスタント・ディレクター)として勤務し、アメリカや中南米のメジャーリーグの取材に行った際、

自分も世界で何かやりたい、世界の本物を伝えたい

と、テレビ報道に興味が沸いたそうで、

石井大裕さんは、

現地の人々がプロフェッショナルにスポーツを楽しむ姿を見て、この魅力を伝えたいと思いました。テニスを辞め、スポーツを嫌いになりかけていた自分が改めてスポーツの魅力に気づき、好きになれました

当時はテニスをやめて自分の夢を失ったばかりでしたが、中南米から這い上がり、一線で活躍している選手たちを見ていたら、スポーツへの興味が沸き上がり、もう一度スポーツで仕事がしたいと思いました。

などと、語っています。

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石井大裕の英語力

ちなみに、石井大裕さんの英語力が、しばしば話題になっていますが、石井大裕さんは、少年時代に、セルゲイ・ブブカさんの家に居候したり、世界を転戦していたことで、英語力が培われていたようで、

慶應義塾大学卒業後には、アメリカでスポーツ番組の契約スタッフとして働いていることから、この時には、既に、英語での高度なコミュニケーション能力を備えていたと思われます。

(石井大裕さんは、その後も、TBSの番組「J-SPO」の契約社員としてアメリカで勤務するほか、2013年の「ワールド・ベースボール・クラシック」中継でも、ベンチリポーターとして、ドミニカ共和国代表の選手に対し、試合後に英語でインタビューを行っており、そのコミュニケーション能力と取材力を高く評価されています)

また、石井大裕さんは、お母さんが台湾人ということで、中国語も出来るといいます。

「【画像】石井大裕アナウンサーの若い頃(TBS入社)から現在までの経歴は?」に続く

お読みいただきありがとうございました

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