1972年、シングル「旅の宿」やアルバム「元気です。」が大ヒットを記録するほか、「たどりついたらいつも雨降り」「地下鉄に乗って」など、ほかの歌手への提供曲もヒットするなど、一躍、売れっ子となった、吉田拓郎(よしだ たくろう)さんですが、そんな人気絶頂の1973年、突如、「婦女暴行容疑」で逮捕されます。

「吉田拓郎は昔ステージでビール瓶を投げつけられていた!」からの続き

Sponsored Link

突然、自宅に刑事が来て「婦女暴行致傷」容疑で連行され逮捕される

吉田さんは、27歳になったばかりの1973年5月23日の朝、突然、都内の自宅に、石川県警金沢中署から3人もの刑事がきて、「婦女暴行致傷」の容疑で警視庁まで連行され、

その後、取調室で逮捕されると、手錠をかけられたまま、金沢まで連行されてしまったといいます。

女子大生A子とスナックで意気投合するも・・・

実は、同年4月18日の深夜、吉田さんは、金沢でのコンサートを終え、メンバー3人と市内の繁華街にあるスナックに入ると、そこに、客として来ていた女子大生A子と意気投合したそうですが、これに、一緒にいたA子のボーイフレンドが気分を害し、険悪な雰囲気となったそうです。

そんなことから、A子のボーイフレンドは、店を出る際、吉田さんに捨て台詞を吐いたそうですが、これにムカついた吉田さんは、A子のボーイフレンドの顔をポカリと殴ったそうです。

すると、A子のボーイフレンドが唇から血を流したため、吉田さんたちはマズイと思い、A子のボーイフレンドを自分たちの宿泊先のホテルに連れていき、手当をして、帰したそうで、

その後は、吉田さん、メンバー3人、一緒についてきたA子、スナックの女子店員が部屋に残り、お酒を飲みながら、みんなでトランプなどに興じるなど、過ごしたそうですが、

その後、(金沢中署の発表では)吉田さんが、A子を隣の自分の部屋に連れて行き、20分にわたって監禁。暴行しようとするもA子の必死の抵抗で未遂に終わったというのです。

(新聞や雑誌の報道内容は、話にかなり尾ひれがついていたそうです)

女子大生A子の狂言と判明し8日後に釈放される

しかし、これが、その後、A子の狂言だったと判明。

吉田さんは、「嫌疑なし不起訴」となり、逮捕から8日後に釈放されたのでした。

(この時、吉田さんを弁護した、弁護士の久保利さんによると、普通は勾留がつくと10日間は釈放されないところ、A子の証言をおかしいと疑った警察により、8日で釈放されたとのことでした)

Sponsored Link

アリバイがあった

ちなみに、吉田さんと一緒にいた他の人たちの証言によると、吉田さんがA子と二人きりになったとされる部屋には鍵はかかっておらず、途中でメンバーが将棋盤を借りに入っていたほか、

吉田さんは、A子には部屋を出て行く時におでこにキスをしただけで、それ以上のことは何もしておらず、もちろん、A子はケガもしていなかったそうです。

また、A子は、翌日、大学で、

拓郎とデートした

と、自慢気に話していたといいます。

「吉田拓郎は女子大生の嘘で大損害を被るも逆告訴していなかった!」に続く

Sponsored Link