吉田拓郎は昔ステージでビール瓶を投げつけられていた!


1972年1月、3枚目のシングル「結婚しようよ」をリリースすると、大ヒットとなり、一躍、スターダムに駆け上った、吉田拓郎(よしだ たくろう)さんですが、従来のフォークファンからは、”裏切り者”扱いされ、激しい批判を浴びたといいます。

「吉田拓郎が若い頃は「結婚しようよ」が大ヒット!」からの続き

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「結婚しようよ」はフォークへの裏切り行為?

1972年1月にリリースした3枚目のシングル「結婚しようよ」が大ヒットとなると、甘いマスクと相まって、”フォークのプリンス”と騒がれ、若い女性に大人気となった吉田さんですが、

一方、アングラ・フォーク系の関係者からは、自身の生き方、恋愛体験などをテーマにした吉田さんの歌は、「メジャーに魂を売った」「裏切り者」「墜落した」などの誹謗中傷が相次いだそうです。

というのも、従来のフォーク歌手は、権威に対し批判的で、反体制を歌に込めていたことから、思想や理想、理念というものがまるでなく、「結婚しようよ」などと軟弱な歌を歌ってヒットさせている吉田さんは、到底許せず、フォークソングへの裏切り行為だと感じていたというのです。

従来のフォークファンから猛烈なバッシングを浴びる

また、1972年4月22日、何人もの歌手が日本武道館に集結した「フォーク・オールスター夢の競演音搦大歌合戦」では、

吉田さんがステージに立った瞬間、客席から、激しい「帰れ」コールと罵声が浴びせられたほか、ヒートアップした客からビール瓶まで投げ込まれ、会場は大混乱。

その後も、吉田さんは、ステージに立つたびに、同じようなことが幾度もあったといいます。(時には、本当に帰ったこともあったそうです)

シングル「旅の宿」とアルバム「元気です。」が大ヒット

それでも、自分に正直に生き、罵声が飛んでも歌い続けた吉田さんは、徐々に支持者を増やし、やがては、(フォークファンではなく)同世代の若者から熱狂的な支持を得ると、

1972年7月1日に発売した4枚目のシングル「旅の宿」は、初のオリコンチャート1位を記録するほか、70万枚を売り上げる大ヒット。


「旅の宿」

そして、続け様に7月21日に発売したアルバム「元気です。」は、(シングルは売れてもアルバムが売れなかった時代にもかかわらず)オリコン・アルバムチャートで14週連続(通算15週)1位を獲得し、わずか1ヶ月間で40万枚を売り上げる大ヒットとなり、


元気です。

吉田さんは、フォークソングというこれまで一部のファンにしか支持されなかったマイナーなジャンルの音楽を、一気にメジャーへと押し上げたのでした。

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アルバム「元気です。」で自身の方向性を意思表示

ちなみに、「結婚しようよ」のヒットで、フォーク関係者(マスコミや観客を含む)から激しいバッシングを浴びていた吉田さんは、

なぜ、こんなにも自分は否定されるのか

と、傷つき、複雑な思いを抱えていたそうですが、

自分の信じた道を進むしかないと、悲壮な思いを、このアルバム「元気です。」に同封されたライナーノーツ(レコードやCDのジャケットに付属している冊子等に書かれる解説文)に、

「僕はやっぱり元気なのです」(アルバムのタイトルに絡ませながら)

(フォークは)より自由であった筈のものなのに。でも、それでも人は云うのです、「フオークーソングは自由の歌である」などと。自由の顔をした不自由な籠の鳥です

もういいかげんにしよう。僕の歌は僕の歌、君の歌は君の歌

と、書き連ねたそうで、

このアルバムで自身の方向性をはっきりと意思表示したそうです。

(吉田さんは、その後、作曲の依頼が舞い込み、ロックバンド「モップス」に「たどりついたらいつも雨降り」(1972)、由紀さおりさんに「ルームライト」(1973)、梓みちよさんに「メランコリー」(1974)を提供するなど、フォーク歌手としてだけではなく、作曲家としても引っ張りだことなっています。)

「吉田拓郎は人気絶頂時「婦女暴行容疑」で誤逮捕されていた!」に続く

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