インディーズレーベル「エレックレコード」の専務・浅沼勇さんに見初められると、次々とソノシート(塩化ビニールなどで作られた薄手のやわらかいレコード)が売り出された、吉田拓郎(よしだ たくろう)さんですが、決して、何もかもが順風満帆という訳ではなかったようです。

「吉田拓郎が若い頃は浅沼勇(エレックレコード)に見出されていた!」からの続き

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「エレックレコード」に契約社員として就職

「広島フォーク村」のメンバーとして、「上智大学全共闘」のメンバーと自主制作したアルバム「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」を手売りしている中、インディーズレーベルの走りだった「エレックレコード」のディレクターの目に留まり、専務の浅沼勇さんにも見初められた吉田さんは、大学卒業後の1970年3月、上京して「エレックレコード」に契約社員として就職しているのですが、

「エレックレコード」は、もともと、英会話レコードなどの通信販売の会社で、当時、人気DJだった土居まさるさん(みのもんたさんの師匠で元・文化放送のアナウンサー)のレコードを出すために、音楽部門ができたような会社だったことから、吉田さんとの契約は、アーティスト契約ではなく、月給制の社員契約で、初任給は3万5千円だったそうです。

(当時は、吉田さんのような音楽が商売になるとは誰も思わなかったそうです)

「エレックレコード」からもアルバム「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」が発売される

それでも、吉田さんは、その後、雑誌「平凡パンチ」に4ページに渡って特集記事が掲載されるほか、

同年4月には、「エレックレコード」からも、(「広島フォーク村」名義で手売りしていたものと同じ)アルバム「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」が発売されたそうですが・・・

(「広島フォーク村」名義(ユーゲントレーベル)の手売り版には写真集がついていたそうですが、エレック版にはついていなかったそうです)

「イメージの詩/マークⅡ」は当初無断で販売されていた

その直後には、「エレックレコード」が、吉田さんに無許可で、シングルカットした「イメージの詩/マークⅡ」を発売したそうで、

そのことを知らず、たまたま、広島のレコード店で売っているのを見かけた吉田さんが、驚いてこのシングルを買い、家で聞いてみると、リズムが途中で裏になっているほか、編集が滅茶苦茶だったことから、猛抗議。音源を録り直すこととなったそうです。

「イメージの詩/マークⅡ」でソロデビューを果たすも散々な日々

こうして、すったもんだの末、吉田さんは、同年6月、録り直した「イメージの詩/マークⅡ」でソロデビューを果たすのですが、

自らレコードの梱包作業を行ってはトラックに積み込んでレコード店を回り、さらには、店頭で歌うキャンペーンもこなしつつ、プロモーション活動のため、いくつかのテレビ番組にも出演するも、

「エレックレコード」
はまともな仕事を取ってこれなかったそうで、愛川欽也さんが司会をしていた子供番組のオーディションでは、「イメージの詩」を歌って審査員の子供に落とされるほか、NHKのオーディションでも、審査員の藤山一郎さん(歌手)に落とされるなど散々だったそうです。


「イメージの詩/マークⅡ」

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後藤由多加との出会い

そんな中、吉田さんは、同年6月27日、「広島フォーク村アルバム発売記念コンサート」を東京厚生年金会館で開催するのですが、

(お客さんはほとんどいなかったそうですが)当時、早稲田大学の学生で、イベントの企画を手掛けていた、後藤由多加さんの目に留まり、以降、コンサートで起用されるようになっていきます。

ちなみに、後藤さんは、吉田さんとの出会いを、

はじめ僕はジャズ系のバンドをやっていましたが、当時付き合っていた女の子がフォーク・クルセダーズという京都出身のバンドのファンで、それがきっかけでフォークと出会い、フォークのバンドを始めました。

しかしプロフェッショナルとしてやっていくだけの才能がないことは感じていて、その頃から舞台の構成やステージの台本を書いたりする方向に行こうと思いアルバイトを始めました。僕は大学に7年間通って結果的に卒業はしませんでしたが、学生の頃にはすでにプロモーションのようなことを始めていました。

そのような中で、吉田拓郎というアーティストと知り合いました。彼の名前はみなさんもご存知だと思います。1970年代前半の彼のエンタテインメント的才能、存在感はすでにもの凄くて、僕が最初にこの世界で仕事をしたいと思ったのも、彼の「イメージの詩」がきっかけでした。

「イメージの詩」の1小節目には、「これこそはと信じられるものがこの世にあるだろうか」という歌詞があります。当時21歳くらいだった僕は、こんな言葉をはっきりと歌にする彼の凄さを感じて、彼はきっとこの音楽で世界を席巻するだろうと思ったんです。その頃は、僕がアマチュアからプロとして仕事をしていこうという思いが固まった時期でもありました。

と、語っています。

(後藤さんは、後に、”たくろうの影の男”と呼ばれるほど、吉田さんの重要なパートナーとなるのですが、吉田さんは、最初の奥さんと結婚が決まった際、奥さんの実家に挨拶に行くのに、後藤さんに拝み倒してついてきてもらったという話もあり、プライベートでも後藤さんに絶大な信頼を寄せていたようです。また、後藤さんは、吉田さんのほかにも、「かぐや姫」、長渕剛さん、BOØWYなどを手けています)

「吉田拓郎が若い頃は「結婚しようよ」が大ヒット!」に続く

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