愛情深く、褒め上手だった新しいお母さんのもと、劣等生から優等生に、そして、性格も明るく大変身したという、うつみ宮土理(うつみ みどり)さんは、その後、「朝日新聞社」に入社すると、オジサマ達に可愛がられ、やがては、取材先で子供たちになつかれ、タレントデビューすることになります。

「うつみ宮土理は母親の言葉で劣等生から優等生に激変していた!」からの続き

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大学卒業後は「朝日新聞社」に入社

愛情深く褒め上手だった新しいお母さんのもと、勉強に励んだ結果、それまで劣等生だったのが、ぐんぐん成績がアップし、中・高校時代の成績はオール5、大学も首席で卒業と、一転、優等生になると、性格も明るく大変身したといううつみさんは、その後、「朝日新聞社」に入社するのですが、

実は、当初、下村満子さん(後にジャーナリスト)1人だけの採用だったところ、面接での好感度が高かったことから、うつみさんも採用されたのだそうです。

そして、「朝日新聞社」では、英字雑誌「THIS IS JAPAN」編集部に配属されたそうですが、論説委員や政治部のオジサマたちに大変かわいがられたそうで、

毎日、午前10時、12時、午後3時、夕方と、お茶や食事に誘われて、ほとんど席におらず、しょっちゅう、編集長から叱られたといいます。

(ちなみに、うつみさんは、小学生の時、本に掲載されている著者紹介の写真を見て、芥川龍之介に憧れるようになり、芥川龍之介のような無口でクールな人との出会いを求めて新聞社を入ったそうですが、残念ながら、そのような人と出会うことはできなかったそうです。)

子供番組「ロンパールーム」の2代目先生(お姉さん)に抜擢される

そんなうつみさんは、入社して1ヶ月ほど経った頃、子供向けテレビ番組「ロンパールーム」の2代目の先生(司会のお姉さん)の募集があったことから、仕事で(記者として)最終選考会の体験取材に行くことになり、うつみさんも面接を受け、履歴書を書いて応募したそうですが、

最終選考会を取材するために会場に行くと、子供好きだったうつみさんは子供たちと遊んでいるうちに仲良くなったそうで、

しばらくして、プロデューサーが子供たちに「次の先生はどのお姉さんがいい?」と聞くと、子供たち全員が「あのお姉さんがいい」と言ったそうで、なんと、2代目の先生に抜擢。

ちなみに、2代目先生の候補は他に2人おり、プロデューサーはほかの2人の中から選びたかったそうですが、子供たちがうつみさんになつき、このお姉さんじゃなきゃ嫌だと泣き出す子までいたそうで、

うつみさんは、

子どもとオジサマたちに好かれるオーラが出ていたのかもしれない(笑)

と、語っています。

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子供番組「ロンパールーム」でタレントデビューし、後に「朝日新聞社」を退職

こうして、うつみさんは、1966年、「ロンパールーム」の2代目先生(お姉さん)として、タレントデビューすると、

鏡よ鏡よ鏡さん、みんなに会わせてくださいな

というフレーズとともに、一躍、人気者に。

当初は、新聞社とテレビの仕事の2足のわらじを履いていたものの、弟や妹の学費を稼ぐため、やがて、ギャラの良いテレビの仕事を選び、「朝日新聞社」を退職したのだそうです。

(3代目以降のお姉さんがすべて「みどり」とされるほど、うつみさんの人気は凄かったようです)

「うつみ宮土理が都市伝説「きれいなき〇たま事件」に言及!」に続く


「ロンパールーム」より。右端がうつみさん。

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