明石家さんまさん、島田紳助さんほか、芸能界に幅広い人脈を持っていたという、板東英二(ばんどう えいじ)さんですが、元々いた野球界にも幅広い交友関係を持っていたといいます。
「板東英二は野々村真からも借金して株式投資していた?」からの続き
星野仙一とは中日ドラゴンズ時代からの親友だった
板東さんは、星野仙一氏とは、中日ドラゴンズ時代に一緒にプレーしていたそうで、特に仲が良く、お互いを「板(ばん)ちゃん」、「仙」と呼び合う仲だったそうで、その後、星野氏と一緒にディナーショーもしているのですが、
星野氏が、2003年、阪神タイガースの監督を務めた時、スローガンにした「勝ちたいんやっ!」は、実は、もともと、板東さんの言葉だったそうです。
というのも、板東さんは、明石家さんまさんらお笑い芸人とゴルフをしていた時、ラフに入ったボールを内緒で動かそうとして追求され、思わず、「勝ちたいんやっ!」と叫んだことがあったそうですが、
板東さんがこの話を星野氏にすると、星野氏は、「勝負事は勝たなあかん!」と気に入り、スローガンにしたのだそうです。
(結果、この年、阪神タイガースは見事優勝しています)
星野仙一の実像を語っていた
ちなみに、板東さんは、後年、そんな星野氏の人となりについて、
闘志あふれる男と言われるが、あれは星野の実像ではない。(投手)交代も自分から替えてくれと言った方が多いのではないか。ホントは気の小さい男なのだ
巨人相手に投げるのが生き甲斐だなんて言っているが、広島戦の方がよっぽど一生懸命投げていた。その方が勝星につながるからだ
と、親友ならではの視点で語っています。
(星野氏は2018年1月にすい臓ガンにより、他界されています)
板東さん(左)と星野仙一氏(右)。
原辰徳監督から投手コーチを要請されたこともあった
また、板東さんは、2008年には、当時、読売ジャイアンツの監督だった原辰徳氏から、投手コーチを要請されたこともあったそうです。
(原氏は、この時、シーズンに向けてチーム編成をしていたそうです)
実は、当時、阪神のバッテリーコーチだった木戸克彦氏が板東さんをコーチにと原氏に推薦してくれたそうですが、「8000万円しか出せない」という原氏に対し、板東さんは、「1億以上じゃないと引き受けない」と固辞し、結局、この話はお流れになってしまったのだそうです。
元木大介から相談された時には危機を感じ引退を引き止めていた?
ところで、プロ野球選手からタレントに転身して成功した、唯一の人といっていい板東さんには、現役のプロ野球選手から、テレビのギャラがいくらか聞かれることも多いそうですが、
ある時、引退を考えていた元木大介氏から、相談を持ちかけられた時には、
元木氏のタレント性に危機意識を持った板東さんは、
まだ、引退は早いぞ! こっち来んな!
と、言って引退を引き止めたそうです(笑)
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