中学2年生の時、友達に誘われて歌のオーディションに参加したことがきっかけで、モデルにスカウトされ、芸能界に入ると、結局は、高校進学後に歌手としてデビューすることになったという、相田翔子(あいだ しょうこ)さんですが、デビュー前には(高校1年生)、年頃の女の子らしく、オシャレに興味があり、お小遣い以外に自由に使えるお金が欲しかったことから、いろいろなアルバイトをしたそうです。今回は、そんな相田さんのアルバイト遍歴をご紹介します。

「相田翔子の生い立ちは?女子プロレスのオーディションに応募していた!」
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初めてのアルバイトは紙袋を作る内職

まず、最初にしたのが、高校1年生の時にした、紙袋を作る内職だったそうで、内職は時給のように働いた時間でお給料が発生するわけではなく、あくまで完成した数に応じて給料が支払われていたため、寝る間を惜しんで紙を折り、糊(のり)を付けて、一生懸命作ったそうですが(時々、お姉さんが手伝ってくれたそうです)、

それでも、1枚につき1円にもならず、初めてのお給料は千円札1枚だったそうで、

相田さんは、

徐々に要領を覚えて、いただける金額も増えていきましたが、「世の中は1円稼ぐのも大変なんだ」というお金を稼ぐことの大変さ、難しさを、このときに学びましたね。

と、語っています。

工場で冷凍食品の箱詰め作業

次は、お姉さんと一緒に、近所の工場で、ベルトコンベアーに乗って運ばれてくる冷凍ラビオリなどの箱詰め作業をしたそうで、

(作詞作曲の勉強をしながらだったため、週に2~3回、お弁当を持って通っていたそうです)

人前に出ることが苦手だったという相田さんにとって、工場での仕事は向いており、パートの人たちのおしゃべりも楽しかったそうですが、

それでも、なかなか時間が経たず、仕事中にチラチラ時計を見るなど、このバイトでは、1時間がいかに長いかということを知ったそうです(笑)

惣菜やハンバーガーショップでアルバイトするも接客業は苦手だった

その後は、通学途中にあったお惣菜屋さんで働き、高校2年生の時には、ハンバーガーショップでアルバイトをしたそうで、どちらのバイトも、裏方として働いていたそうですが、

忙しい時はどうしても接客をしなければならず、お惣菜屋さんでは、商品の値段がなかなか覚えられず、ハンバーガーショップでは、緊張して手の上にまでソフトクリームを出し、そのままお客さんに出してしまったこともあったそうで、接客はなかなか大変だったそうです。

ちなみに、バイト先には同年代の人たちも多かったそうですが、相田さんはなかなかみんなの中に入っていけず、淡々と仕事だけして家に帰っていたそうで、ハンバーガーショップには物凄いイケメンの男の子もいたそうですが、恥ずかしくて挨拶しかできなかったそうです。

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パン屋でのアルバイト時レコードデビューが決まるもパン屋に戻ってくるつもりだった

そんな相田さんは、次はパン屋で働こうと、パン屋の入り口にアルバイト募集の張り紙が貼ってあったのを見て、面接に行ったところ、今夜から来て欲しいと言われたため、言う通り、その日の夜に行ってみると、道の反対側にある居酒屋に連れて行かれたそうで、びっくりしたそうですが、

意外性が面白く、そのまま働くことにしたそうで、焼鳥やビールを運びながら、お客さんと世間話をすることはとても勉強になったそうです。

ちなみに、その後、晴れて、パン屋で働くことができるようになったそうですが、ここでもやはり、裏方としてパンを作る仕事を希望していたにもかかわらず、店が忙しい時には接客をしなければならず、

お客さんから、「食パン10枚切りください」と注文を受けると、ドキドキしながら機械を操作して切っていたそうですが、緊張してパンがぐちゃぐちゃになってしまったことがあったそうで、店長にお願いして、パン作りの方に戻してもらったのだそうです。

以降、相田さんは、デビューするまでこのパン屋でアルバイトをしていたそうで、デビューが決まって店長たちスタッフに報告した時は、とても喜んでくれたそうですが、

相田さんは、レコードデビューが決まったからといって成功するとは夢にも思っておらず、このパン屋に戻ってくるつもりで、「きっとすぐに帰ってきます」と言っていたそうです(笑)

「相田翔子が若い頃はWinkで「愛が止まらない」「淋しい熱帯魚」が大ヒット!」に続く

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