1976年2月、シェイクスピア劇「マクベス」でマクベス夫人役を演じると、たちまち大ブレイクし、一躍、トップスターの座に駆け上った、坂東玉三郎(ばんどう たまさぶろう)さんは、その後も快進撃を続けます。

「坂東玉三郎は昔シェイクスピア劇「マクベス」でも大ブレイクしていた!」からの続き

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泉鏡花の「天守物語」が爆発的な大ヒット

シェイクスピア劇「マクベス」が大ヒットした坂東さんは、その後も、歌舞伎の公演に出演しつつ、1977年には、シェイクスピア劇第二弾として「オセロー」のデズデモーナ役を演じるなど、徐々に活動の場を歌舞伎以外にも広げていき、

1977年12月、27歳の時には、念願だったという泉鏡花の「天守物語」で富姫役を演じると、前売りの段階で、初日2週間前に全席の8割を売る、爆発的なヒットを記録します。

(前年の自身の「マクベス」を抜き、前売りの日本記録を更新したそうです)

また、坂東さんは、この年の「ゴールデンアロー賞 演劇賞」を受賞するなど、人気、実力ともに、頂点を極めたのでした。

(この「天守物語」では、坂東さんの相手役は、誰が出ても坂東さんの陰に隠れてしまうため、誰もやりたがらなかったそうで、それほどこの時の坂東さんの人気は凄まじかったそうです)

「天守物語」はライフワーク

ちなみに、坂東さんは、この「天守物語」が初めての座頭公演だったそうで、以降、30年以上にわたり、断続的に演じ続けているのですが、

1995年には映画化(監督・主演)するほか、歌舞伎座での歌舞伎公演、朗読など、様々な形態で演じており、ライフワークとなるほど思い入れのある作品だそうで、

坂東さんによると、「天守物語」を初めて観たのは、1960年11月の歌舞伎座で、(図書之助役で出ていた養父・守田勘弥さんではなく)中村歌右衛門さん演じる富姫ばかりを観ていたそうで、

坂東さんは、その時のことを、

そのころはあまりよくわけがわからなかったんですけれども、うす暗いところでおこる美しい物語というものに、なんとなく子供心に憧れを感じていたんですね。

そのころからやりたいと思っていましたけれども、おとなになって戯曲を改めて読んでみて、その内容のすばらしさというものにびっくりしました。

と、語っています。

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海外からも注目される

そんな坂東さんは、その後、1979年には、篠田正浩監督作品「夜叉ケ池」で映画初出演を果たすなど、さらに活動の場を広げると、

1980年代には、徐々に歌舞伎から離れて、泉鏡花や三島由紀夫さんの作品を中心とした新派作品への出演するほか、舞台の地方公演、単独での朗読・舞踊の公演などが増えていき、

1984年5月4日~18日には、舞踊でニューヨークとロサンゼルス公演に出演すると、13日には、ニューヨークの「メトロポリタン歌劇場」創立100周年記念ガラ公演に招聘され、「鷺娘」を踊っているのですが、絶賛され、後日、録画が全米にテレビ放映されるなど、海外でも認められるようになっていったのでした。

(このガラ公演は、各ジャンルの世界的なパフォーマーが招聘されて一日だけ行われたものなのですが、坂東さんは1982年にニューヨークで歌舞伎公演をしており、その時の印象が強かったからか、日本からは坂東さんが選ばれたのだそうです)

「坂東玉三郎はアンジェイ・ワイダの「ナスターシャ」で男女2役を演じていた!」に続く


篠田正浩監督作品「夜叉ケ池」出演時の坂東さん。

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