篠山紀信さんとコラボレーションして、写真展を開催し、写真集を出版すると、大きな反響を呼び、歌舞伎界だけではなく、一般の週刊誌にも取り上げられた、坂東玉三郎(ばんどう たまさぶろう)さんですが、今度は、シェイクスピア劇「マクベス」で、マクベス夫人を演じ、大ヒットさせます。

「坂東玉三郎と篠山紀信のコラボに養父の守田勘弥は当初反対していた!」からの続き

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シェイクスピア劇「マクベス」のマクベス夫人役でトップスターに

坂東さんは、1976年2月には、シェイクスピア劇「マクベス」で、マクベス夫人役に起用されているのですが、公開4日目には、千秋楽までのチケットが完売し、演劇関係者の間でもチケットが取れないほどの大ヒットを記録。

窓口では「マクベス2枚」というのではなく、「マクベス夫人2枚」と言ってチケットを買う人が多く、ほとんどの観客が、坂東さん目当てに来ていたほどで、坂東さんは、一躍トップスターの座に駆け上ったのでした。

養父の守田勘弥が他界後は歌舞伎以外で活動の場を求めていた

実は、坂東さんは、師匠で養父の14代目守田勘弥さんが1975年3月28日に他界しているのですが、それ以降、徐々に歌舞伎座への出演が減っていったというのです。

というのも、勘弥さんが存命中は、勘弥さんによって、(坂東さんが妬み嫉みを受けないように)主役と脇役を交互に演じるなど、調整されていたのですが、勘弥さん他界後はそれも出来なくなり、

(坂東さんの人気が凄まじく、観客が坂東さんを脇役で出ることを許さなかったそうです)

坂東さんが出演するからにはそれなりの役を用意しなければならず、かといって、歌舞伎座で坂東さんを主役ばかりとすると、歌舞伎界の秩序が乱れるため、坂東さんは、歌舞伎以外で活路を見出すしかなかったのでした。

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マクベス夫人役は平幹二朗のアイディアだった

ちなみに、前年の1975年7月には、蜷川幸雄さん演出で、市川染五郎(現・二代目松本白鸚)さん主演のシェイクスピア劇「リア王」(東宝)が上演されているのですが、この時、東宝は、坂東さんの出演も打診していたといいます。

それを、松竹が断り、自社で坂東さん主演のシェイクスピア劇を企画し、この「マクベス」で坂東さんの出演が実現したのですが、

実は、坂東さんを「マクベス夫人」にというアイディアは、マクベス役を演じた平幹二朗さんによるものだったそうで、平さんは、2年以上前からこのアイディアを持っていたそうですが、この時はまだ勘弥さんが存命だったことから、実現しなかったと言われています。

「坂東玉三郎は泉鏡花の「天守物語」が大ヒットしていた!」に続く

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