10代までは、お父さん(神津善行さん)への畏怖(いふ)の念から、お父さんが間違っていても、それを指摘できず、言うことに全て従っていたという、神津カンナ(こうづ かんな)さんですが、アメリカ留学から帰国した頃くらいから、少しずつ、お父さんとの力関係が変わってきたといいます。

「神津カンナは父・神津善行から論理的に勧められアメリカ留学していた!」からの続き

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3歳の時に父・神津善行に叩かれ蔵に閉じ込められたことがあった

カンナさんは、幼い頃から、お父さん(神津善行)に、声を荒げて叱られたり、手をあげられたことがなかったそうですが、カンナさんが3歳の時、ハサミを持ち出し、テーブルに傷をつけて遊んでいた時のこと、

幼いカンナさんは、机に傷がついていくのがただただ面白く、お父さんから「やめなさい」と注意されても、ひたすら傷つけていたそうで、3回注意されてもやめなかったことから、ついには、お父さんに首を猫のようにつかまれ、バシッバシッと往復ビンタされたことがあったそうです。

それでも、カンナさんは、「ごめんなさい」と言わなかったそうで、次に、お尻を叩かれ、さらには、(当時、住んでいた借家には蔵があったそうで)蔵に放り込まれ、3時間出してもらえなかったのだそうです。

(妹の神津はづきさんも、3歳くらいの時に、同じようなことをやって、叱られていたそうです)

父・神津善行の策略だった?

ただ、お父さんからは、それ以来、声を荒げられたり、叩かれたことはなかったそうですが、カンナさんは、その後も、この3歳の時のことが強烈な思い出として残っていて、

この人を怒らせたら、えらいことになる

と、ある程度のところまでは反抗しても、最後の最後まで自分のわがままを通すということはなかったそうで、

カンナさんは、これは、父親というのは怖い存在だと子供の心に焼きつけておこうという、お父さんの計算だったのではと今となっては思っているそうです。

10代の頃は父・神津善行に恥をかかせまいと間違っていても従っていた

こうして、お父さんのことを畏怖していたカンナさんは、お父さんには恥をかかせてはいけないと、お父さんがドジを踏んでも見て見ないふりをするなど、いつも、花を持たせてあげていたそうですが、

(特に、バリバリに仕事をしていた40代の頃のお父さんには、たとえ、お父さんが間違っていても、それを指摘して恥をかかせることはせず、お父さんの言うことにひたすら従っていたそうです)

カンナさんが、アメリカ留学から帰国した頃くらいから、少しずつ、お父さんとの力関係が変わってきたと実感した出来事があったそうです。

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父・神津善行との力関係が逆転

それは、外国人と話していた時のこと、

お父さんに、

今、なんて言ったの?

あ、あの、カンナ。ぼくがこう言ってるって、伝えて

と、言われたため、カンナさんが通訳をすると、

どうもありがとう

と、お礼を言われたそうで、

カンナさんは、内心、小躍りするほどうれしく、

ついに勝てるものができた

と、鬼の首でも取ったような気持ちになったのだそうです(笑)

(戦争を体験したお父さんには、英語アレルギーがあり、外国人コンプレックスという弱点があったそうです)

また、カンナさんが30歳になった頃あたりから、お父さんも、丸くなり、娘の言い分も認めるようになってきたのだそうです。

「神津カンナは母・中村メイコとは何でも言い合える関係!」に続く

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