父親の神津善行さんとは、性格や気質が似ていることから、より深く理解できるも、自然な父娘の関係ではなく、ワンクッション距離のある関係という、神津カンナ(こうづ かんな)さんですが、一方、高校卒業後は、漠然と役者になろうと考えていた中、お父さんからの的確な提案に納得し、アメリカ留学したといいます。

「神津カンナは幼少期から父・神津善行とは距離を置いた関係だった!」からの続き

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幼い頃から父・神津善行が良い父親になろうと努力している姿を見て良い父親と感じていた

父親の神津善行さんには、甘やかされることなく、厳しく育てられたというカンナさんですが、幼い頃から、お父さんが良い父親であろうと努力していることは分かっていたため、心から良いお父さんだと思っていたそうです。

(お父さんは、7人兄弟の末っ子で、中学一年生の時に、お父さん(カンナさんの祖父)が他界しているため、父親というものがどういうものか分からず育ったそうで、理想の父親像が頭の中にあり、子供たちに、「お父さんはこう思う」とか「ああ思う」など、ことあるごとに自分の考えを言って、理想の父親像に近づこうと努力していたのだそうです)

高校卒業後は漠然と役者になろうと考えていた

ちなみに、カンナさんが、高校を卒業して、アメリカへ留学したのも、お父さんからの提案に、心底、納得したからだったそうですが、

当時のカンナさんは、アメリカ留学などとは考えておらず、かといって、明確な将来の展望というものはなく、漠然と「役者にでもなろうかな」と考えている程度だったそうです。

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父・神津善行からアメリカ留学を論理的に説得され納得していた

すると、それを知ったお父さんから、

役者になりたいとしたら、どんな役者になるのか

役者になるにはいくつか方法がある。

一つは文学座とか俳優座の研究生になり、下から積み上げていく方法。

二つ目は大学の演劇科に入りアカデミックに演劇の勉強をする方法。

三つ目は誰かの付き人になる方法。杉村春子さんとか尊敬する人の弟子に入って、そこで身の回りの世話をしながら芸を盗む。

四つ目は最も安易な方法で、親の七光を使ってどこかでデビューさせてもらう方法。

こうしたいくつかの方法があるが、どれを選ぶのか

と、まるで、面接官のように問い詰められたそうで、

カンナさんは、(割と硬派だったため)「文学座」などの研究生になるとか、早稲田大学の演劇科に入るのもいいな、と思っていたことから、その旨、お父さんに伝えたそうですが、

お父さんからは、

5年先に自分はどうなっていたいという目標はあるのか?

と、聞かれたそうで、

答えられずにいると、

(まだ、将来については、何も考えていなかったそうです)

お父さんは、

目先のことだけではなくて、5年先、10年先のことを考えていなくてはいけない。そのためには日本にいると中村メイコの娘ということで、都合よく使われてしまうことがあるかもしれないから、 一旦、日本を離れなさい。

芝居だけでなく自分をきちっと確立させないと、芸能界のような世界ではどんどん自分を磨耗してしまうだろう

と、続けたそうで、

この、お父さんの「三段論法」を聞いたカンナさんは、ほとんど反論する余地なく、むしろ、アメリカ留学がベストだと心から納得したそうで、

カンナさんは、著書「仕事美人は生き方上手」で、

自分の進路、ターニングポイントだけでなく、仕事上の壁にぶち当たったときに下されるアドバイスのようなものも、割に的確だと思います。

父が理屈っぽく、ときに説教をしたり、自分の考えをあれこれ言うのは、家の中で良い父親であろうとする意識、理想の父親像を追求する意識が非常に強いからではないかと思います。

と、綴っています。

(また、カンナさんは、このアメリカ留学で3年間お父さんと離れて生活したことによって、お父さんを客観的に見ることができるようになったほか、自分自身に余裕もできたそうです)

「神津カンナは父・神津善行には畏怖の念から全て従っていた!」に続く


仕事美人は生き方上手

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