ヤクルトスワローズ時代には、野村克也監督から数々の嫌がらせをされていたという、長嶋一茂(ながしま かずしげ)さんですが、野村監督が一茂さんを嫌っているという噂が広まると、野村監督のご機嫌取りをするコーチたちからも嫌がらせを受けるようになったといいます。
「長嶋一茂が野村ノートを一人だけつけていなかった理由とは?」からの続き
野村克也監督のご機嫌取りをするコーチからも嫌がらせを受けていた
ヤクルトスワローズでは、野村克也監督から数々のイジメを受けていたという一茂さんですが、野村監督が一茂さんを嫌っているという噂が広まると、まるで尻馬に乗るかのように、野村監督のご機嫌取りをするコーチが何人か出てきたそうで、
ある朝、一茂さんが練習に行くと、バッティング練習のリストのどこにも一茂さんの名前がなかったため、
一茂さんが、
俺、どこで打てばいいんですかね
と、聞くと、
某コーチには、
お前は打たなくていい
と、言われたことがあったそうです。
試合に出られるはずが別の選手が出場することになっていたことも
また、久々に試合に出られることになり、一茂さんが意気揚々と球場に向かうと、別の選手が出場することになっていたこともあったそうで、
一茂さんは万全の体調であったにもかかわらず、某コーチ(前述とは別のコーチ)が、「今日は一茂の体調が良くないらしい」と、野村監督に進言していたのだそうです。
毎日のように陰湿な嫌がらせを受け続けていた
そのほか、聞きもしないのに、「野村監督は一茂に何も期待していない」「一刻も早くトレードで放出したがっている」などと、一茂さんに言い続ける人達もいたそうで、
一茂さんは、そのような陰湿な嫌がらせを、毎日のように受け続けていたのだそうです。
気を紛らすため毎晩のように六本木や銀座で朝まで飲んだくれていた
そのせいで、一茂さんは、毎日のように、
こいつら(野村監督ではなく、陰湿な嫌がらせをする何人かのコーチたち)をぶん殴ってユニフォームを脱いでやる
と、頭がくらくらするほどの怒りがこみ上げてきたそうですが、
実際、ぶん殴るわけにもいかず、その代わり、ほとんど毎晩のように、大学時代の友達や後輩たちと、六本木や銀座で朝まで飲んだくれて、うさを発散していたのだそうです。
(ビール、ワイン、ウィスキーなど何でも飲んだそうで、酔っぱらえればなんでも良かったそうです)
夜しらふで床に入るのが怖かった
そんな一茂さんは、夜、しらふで床に入るのがとても怖く、床に入って天井を見つめていると、ぶん殴ってやりたいコーチたちの顔、不甲斐ない自分のことなど、昼間の怒りや悔しさが、まざまざと蘇ってきて嫌でたまらなかったそうで、
憎んでも憎みきれない人たちを見返す唯一の方法は、(最初の計画どおり)ホームランをバンバン打つことだということは分かっていても、どうすれば打てるようになるのかその方法が分からず、かと言って、野球を辞めるわけにはいかずで、起きている時でも、いつも、逃げても逃げても少しも進まない悪夢を見ている感覚だったのだそうです。
野村克也監督を憎んではいなかった
それでも、不思議なことに野村監督その人のことを憎む気持ちはどこからも湧いてこなかったそうで、
一茂さんは、著書「三流」で、
彼は野球を知り尽くしている。ID野球と言われるくらい、一般的には緻密(ちみつ)な計算とセオリーの人と思われているようだけれど、俺に言わせれば、むしろ、あの人はいわゆるセオリーどおりの野球はあまり好きじゃない。
セオリーどおりの野球ではなく、たとえば義経の「ひよどり越えのさか落とし」のような、奇抜な戦略を好む人だ。それは監督としての自分の手腕を見せたいという、あの人の目立ちたがりの性格からくるものだろう。
でもそういう奇抜な戦略を成功させるには、猛烈な勉強もしなければならないだろうし、何よりも大きな勇気が必要なのだ。
そういうものを支えているのは、野村監督の野球にかける情熱の大きさなのだ。こと野球にかけて、彼には嘘がない。あの人も親父とは違った意味で、野球の神様に愛された人なのだろうと思う。だから俺は、何があろうと、野村監督を恨んだりする気にはなれなかったのだ。
と、明かしています。
「長嶋一茂はドジャースのマイナーリーグに野球留学していた!」に続く