ヤクルトスワローズに入団した年には、オープン戦でプロ初安打がホームランと華々しいデビューを果たすも、その後はパッとせず、1年目を終えた、長嶋一茂(ながしま かずしげ)さんは、2年目のシーズンでは、まずまずの成績を残し、いざ3年目を迎えようとしたそうですが・・・3年目には監督が関根潤三さんから野村克也さんに替り、雲行きが怪しくなります。
「長嶋一茂はプロ初安打(オープン戦)をホームランで飾っていた!」からの続き
プロ2年目で軌道に乗り始めるも・・・
プロ入り直後は、今は未熟でも練習さえ重ねればすぐに活躍出来ると思うも、ほどなくして、お父さん(長嶋茂雄さん)のような野球選手になることは無理だと悟り、その現実から逃避するようになっていったという一茂さんですが、
それでも、プロ2年目の1989年のシーズンは、69試合に出場して、ホームラン4本、打率2割5分と、ようやく軌道に乗り始めたそうです。
(三冠王を3度獲った落合博満さんは、一茂さんがプロ入りする前、テレビ局のインタビューで、「プロのスピードとか技術に慣れたら、あれだけいいものを持っているんだから、そりゃ大成しますよ」と発言していたそうですが、ようやく、その予言どおりになろうとしていたそうです)
野村克也がヤクルトスワローズの監督に就任する際に課された2つのノルマとは?
そんな中、プロ入り3年目の1990年、ヤクルトスワローズの関根潤三監督が退任し、野村克也さんがヤクルトの監督に就任するのですが、野村さんは、監督に就任するにあたり、ヤクルトスワローズの経営陣から、「3年以内にスワローズを優勝させること」と「長嶋一茂を一人前に育てる」という、二つのノルマを課されていたといいます。
というのも、優勝を目指すのは当然として、一茂さんの活躍見たさにヤクルトの試合を観戦する観客が多くいたことから、一茂さんが一人前になってレギュラーになれば、その数はさらに増えるだろうと球団は考えたのでした。
野村克也がプロ入り直後の長嶋一茂についてコメントした内容とは?
ただ、野村監督は、監督になる前、一茂さんがプロ入り直後に参加したアリゾナ州・ユマでのキャンプに、テレビ局の野球解説者として訪れた際、
(一茂さんが一人前になるには)時間がかかりそうだね。当たればものすごい打球が飛ぶ。でも、すごさと脆(もろ)さが同居しているというか、何というか、まあ、公式戦にフル出場したら、三振王は間違いなしやろうけど
と、語っており、雲行きが怪しくなります。
「長嶋一茂はヤクルトで野村克也監督にイジメられていた!」に続く