1955年、小学3年生の時、お父さんに後楽園球場に日米野球の試合(毎日オリオンズ(現・ロッテ)対ニューヨーク・ヤンキース)を観に連れて行ってもらうと、すっかり野球にはまったという、田淵幸一(たぶち こういち)さんは、その後、自分でも野球を始めたといいます。

「田淵幸一の少年時代は裕福な家庭で何不自由なく育っていた!」からの続き

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日米野球観戦後にキャッチボールを始めていた

初めて、観に連れて行ってもらった野球が日米野球(毎日オリオンズ(現・ロッテ)対ニューヨーク・ヤンキース)だった田淵さんは、すぐに、ヤンキースと同じ縦縞のユニフォームを、そこら中のスポーツ用品店を回って探し、古道具屋で500円のグラブを買うと、

(お父さんは東北地区担当で出張が多く不在がちだったうえ、田淵さんには男兄弟がいなかったことから)田淵家に下宿していた法政大学生に、キャッチボールの相手をしてもらったそうです。

学習院キャンパスで仲間たちと三角ベースをするように

そして、そのうち、近所にあった学習院キャンパスのフェンスに破れた所が一か所あったことから、そこからこっそり中に入り、仲間たちと三角ベースをやるようになったそうですが、

(守衛さんに見つからないように、見張りをつけて遊んだそうです)

学習院は沼や竹やぶなどがある神秘的な場所だったそうで、沼ではザリガニを捕り、夏にはセミやクワガタ捕りもしたほか、木の上に秘密基地を作って遊ぶなど、都会の中の自然で、のびのびと育ったのだそうです。

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ジャニー喜多川率いる野球チーム「ジャニーズ」と試合をしたことがあった

そんな田淵さんは、(リトルリーグがない時代だったため)小学5年生の時には、「目白コンドルス」という軟式の野球チームに入ったそうですが、

ある日のこと、あの、ジャニー喜多川さん率いる「ジャニーズ」とも試合をしたことがあったそうで、

ジャニーさんに大きなアメ車に乗せてもらい、後部座席にあったアメリカ製のお菓子(チューインガム)をもらったことが今でも忘れられないそうです。

(試合は勝ったか負けたか覚えていないそうです(笑))

「田淵幸一は中3の時ご褒美のカツ丼につられ逆転満塁本塁打を打っていた!」に続く

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