歌舞伎役者になれないのならばと、家族に自分の存在を認めさせるため、女優になりたいと思うようになったという、寺島しのぶ(てらじま しのぶ)さんは、不本意ながら、母・富司純子さんのつてで、テレビドラマ「詩城の旅人」(1989年)に出演したそうですが、ルックス的にも演技的にも見れたものではなく、愕然(がくぜん)としたそうで、本当に女優としてやっていきたいのか迷いが生じ、一旦、女優になりたい気持ちから離れようと、学校のクラブ活動に没頭したといいます。

「寺島しのぶは歌舞伎役者を諦めるため女優を夢見るようになっていた!」からの続き

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どうすれば女優になれるか考え一人悶々とする毎日を送っていた

11歳の時、女性は絶対に歌舞伎役者にはなれないと知り、歌舞伎への憧れを封印するため、女優になりたいと思ったという寺島さんは、歌舞伎は一切見ないようにし、家族が芝居の話を始めると、自分だけ席を外して部屋に閉じこもるようになったそうで、

女優になりたい、でも、どうやればなれるのか、親の力を借りれば女優になるきっかけはつくれるだろう(でも、それだけは絶対いや)

と、部屋で一人、悶々(もんもん)とする日が続いたそうです。

(弟の菊之助さんと習っていたお稽古事もすべて辞め、放課後には、親友の家に行き、夕ご飯をいただいて帰ってくる毎日で、家族ともほとんど話をしなくなったそうです)

母親・富司純子のつてでテレビドラマ「詩城の旅人」に出演するも・・・

そんな中、寺島さんは、女優になるきっかけをつかみたいという焦りから、

一度だけ手助けしてもらえば、あとは自分の力でやっていける

と、自分に言い聞かせ、

ついにお母さんの力を借りることにし、お母さんのつてで、1989年、高校3年の時、「詩城の旅人」というテレビドラマに出演させてもらったのだそうです。

自分のルックスや演技を見て愕然としていた

こうして、念願叶い、ついに女優として世に出ることとなった寺島さんは、いろいろなテレビ局からオファーが来たり、驚いて娘を見直す両親の顔が目に浮かんできたそうですが・・・

出来上がった作品を見て、愕然(がくぜん)としたそうです。

というのも、顔は風船のようにパンパンで、演技も見られたものではなく、とにかく酷(ひど)すぎたそうで、お母さんに頭を下げてもらって出演にこぎつけたものの、

(そこで実力が発揮できれば、まだいいものの)何だか、逆に迷惑をかけているような気がしたそうで、

これだったら、親とは全然違うところ(職業)でやって、親から認められたほうが、わたしとしてもいいんじゃないか。

お前、本当に女優をやりたいの?一生の仕事としてやりたいの?

と、女優になりたいと思っている自分に疑問を感じたのだそうです。

女優になりたい気持ちから一旦離れるため学校のクラブ活動に没頭していた

そこで、寺島さんは、本当に女優になりたいのかどうか自分で確かめるため、一度、頭の中をクリアにしようと、一旦、女優になりたいという気持ちから離れ、学校のクラブ活動(中学ではバレーボール、高校ではハンドボール)に打ち込み、毎晩遅くまで没頭したそうで、

(ハンドボールでは、東関東の選抜に選ばれるほどの実力だったそうで、そのことは、今でも自信となっているそうです)

脚は、ボンレスハムのようにパンパンになったそうですが、それはそれでかまわなかったそうです。

(そんな寺島さんの姿を見た両親は、娘は女優にならず普通の職業を見つけてやっていくんだと思ったようで、お母さんは、寺島さんのためにとっておいた着物をほとんど人にあげてしまったのだそうです)

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クラブ活動に没頭しつつも女優になりたい気持ちが忘れられなかった

それでも、女優になりたい自分は確実におり、頭の中をクリアにしようと思いつつも、クラブ活動に熱中することで女優になることを忘れようとしている自分もいたそうで、

(女優になりたい自分が膨らまないようにしていただけだったそうです)

実際、本当に忘れていることもあったそうですが、クラブ活動で盛り上がった後、一人になった時、フッと、これでいいのかなあ、と思うこともあったそうで、

結局、女優になりたいと思う気持ちが膨らむほど、その気持を抑えるために部活に没頭するしかなかったのだそうです。

「寺島しのぶは太地喜和子の言葉で女優になる決心をしていた!」に続く

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