2011年には、ついに念願叶い、長男・政明さんと共に歌舞伎界入りを果たした、香川照之(かがわ てるゆき)さんですが、実は、30年以上も断絶状態だった父・三代目市川猿之助(現・二代目市川猿翁)さんとの和解当初は、歌舞伎界入りを反対されていたそうで、そんな中、フリーで活動していた従兄弟の二代目市川亀治郎(現・四代目市川猿之助)さんの力を借りようと思いたったといいます。

「香川照之は40代でやっと父・市川猿之助(3代目)と再会を果たしていた!」からの続き

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父・三代目市川猿之助と再会後も当初は梨園入りを反対されていた

2012年、「六月大歌舞伎」で、長男の政明(市川團子)さんとともに、市川中車として歌舞伎の舞台に立ち、悲願の梨園(歌舞伎界)入りを果たした香川さんですが、

実は、梨園入りに際し、父・三代目市川猿之助(現・二代目市川猿翁)さんの後妻である藤間紫さんを頼ったそうですが、藤間さんからは、「甘い世界ではない」と一蹴されたそうです。

また、父・三代目市川猿之助さんにも、40歳を過ぎて、歌舞伎は教えられない、ましてや「猿之助」を名乗らせることはできないと言われ、以降、ずっと梨園入りを反対され続けたそうです。

そして、歌舞伎界からも

映画、ドラマの俳優として生きてきた彼を、歌舞伎役者の子供だからと言って素直に歌舞伎に入れてもいいのか

という声が上がっていたそうです。


五代目市川團子(香川さんの長男・政明さん)と九代目市川中車(香川さん)。

梨園入りに際して澤瀉屋を離脱してフリーで活動していた従兄弟の二代目市川亀治郎の力を借りていた

そんな中、香川さんは、父・三代目市川猿之助さんが、後継者として「四代目猿之助」襲名を持ちかけていた、従兄弟の二代目市川亀治郎(現・四代目市川猿之助)さんの力を借りようと思い立ったそうで、

(三代目市川猿之助から見ると、亀治郎さんは甥(弟・四代目市川段四郎さんの息子))

実は、当時、亀治郎さんは、三代目市川猿之助さんが率いる「澤瀉屋(おもだかや)」を離脱してフリーで活動しており、「亀治郎として生きて行きたい」と公言し、猿之助を襲名する気はなかったそうですが、

香川さんが、

  • 一旦、亀治郎さんが四代目として猿之助を襲名する
  • 香川さんも歌舞伎界入りする
  • 亀治郎さんは結婚もせず、子ども(跡継ぎ)を作る気もないため、いずれ、五代目猿之助の名跡は、香川さんの息子・政明さんが継ぐ

と、誘うと(お互いの利害が一致)、亀治郎さんもこの誘いに乗り、結果、亀治郎さんの力添えで梨園入りを果たすことができたのだそうです。

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父・三代目市川猿之助は後妻・藤間紫が他界し気落ちしていた

また、香川さんの歌舞伎界入りが実現した背景には、亀治郎さんの協力のほか、偶然にも、潮目が変わる出来事があったといいます。

実は、香川さんと三代目市川猿之助さんの仲を取り持つため尽力してくれた、三代目市川猿之助さんの後妻・藤間紫さんが2009年に他界し、三代目市川猿之助さんはすっかり気落ちしていたそうで、

そんな中、香川さんの梨園入りを反対していたお父さんの気持ちも緩まり、香川さんの歌舞伎界入りが実現したのだそうです。


香川さん(左)と父親の二代目市川猿翁さん(右)。

(三代目市川猿之助さんは、亀治郎さんの「四代目猿之助」襲名は、あくまで、香川さんの長男・市川團子さんが「五代目猿之助」を襲名するまでの期間だけ、という条件も了承したそうです)

ちなみに、某歌舞伎関係者は、

親子和解のきっかけは、息子を歌舞伎界に入れたいという香川の熱意があったからでしょう。それは、猿翁が藤間紫を亡くして気落ちしていた時期に重なっています。

襲名披露の後は猿翁が香川に稽古をつけ、舞台で共演を果たしてきました。パーキンソン病を発症していた猿翁には身の回りの世話をしてくれる女性がいたのですが、今は既に去り、ヘルパーさんに自宅で面倒を見てもらっているようです。香川は猿翁の近くのマンションに住み、時折サポートのために訪れていると聞いています

と、語っています。

「香川照之と市川猿之助(4代目)は仲良しも香川の気遣いで成立していた?」に続く

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