1985年、1986年、2年連続三冠王に輝いた、ランディ・バース(Randy Bass)さんは、1987年も好成績を残すのですが、1988年は、息子のザクリー君が水頭症で緊急入院となって野球どころではなくなり、5月6日の試合から欠場しています。

「ランディ・バースは吉田義男監督と確執があった?」からの続き

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1987年も好成績を残すもチームは最下位に沈んでいた

1985年は、打率3割5分、54本塁打、134打点、1986年は、打率3割8分9厘(NPB記録)、47本塁打、109打点で、2年連続三冠王に輝いたバースさんは、1987年も、打率3割2分、37本塁打、79打点という好成績を残すのですが、

チームはというと、球団ワーストの83敗で、勝率3割3分1厘と、首位巨人に37.5ゲーム差をつけられ最下位に沈んでしまいます。

1988年は村山実が新監督に就任するも関係は冷え切っていた

すると、オフには吉田義男監督が解任されて、1988年は、村山実さんが新監督に就任し、バースさんは、これまでの3番ではなく、4番ファーストで開幕を迎えるのですが、シーズン第1号が、11試合目でようやく出るなど、なかなか調子が上がりません。

また、村山監督が若手を積極的に起用したことから、バースさん含めベテラン選手たちと村山監督の関係は冷え切っていたといいます。

長男・ザクリーが水頭症を患い緊急手術を受けていた

そんな中、バースさんの8歳の長男・ザクリー君が目の異常を訴えるなど体調に異変が生じ、5月6日に緊急入院すると、精密検査の結果、頭部に水がたまる水頭症で脳腫瘍の疑いがあることが判明。

バースさんは、5月6日の試合から欠場していたのですが、もはや野球どころではなくなってしまったのでした。

(実は、ザクリー君は、3月にもアメリカ滞在中に体調を崩して入院しており、バースさんは、開幕前に急遽帰国していました)

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5週間後の6月17日までに帰国する契約書にサインしていた

その後、ザクリー君は緊急手術を受けたそうですが、バースさんは、後悔しないためにも、世界的権威の専門医がいるカリフォルニア州立大学医学部付属病院で再手術を受けさせるべく、自身も、「父親としてそばにいてやりたい」と帰国しているのですが、

阪神球団とは、5月13日から14日にかけて話し合い、結果、「5週間後の6月17日までに帰国する」ということで話がまとまり、バースさんは契約書にサインしたのだそうです。

「ランディ・バースは阪神に突然解雇されていた!」に続く


バースの日記。

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