1979年、前年オフに田淵幸一選手がトレードされたことで4番に起用されることになると、飛距離を求めて打撃フォームを改造するほか、打席に入る時のルーティーンも重要視するようになったという、掛布雅之(かけふ まさゆき)さんは、このシーズン(1979年)、打率3割2分7厘、48本塁打、95打点で、見事、本塁打王に輝いているのですが、その背景には、中西太打撃コーチとの出会いのほか、甲子園に吹く浜風を味方につけたことや、素手でバットを持つことへのこだわりがあったといいます。
「掛布雅之は田淵幸一トレード後の4番起用に重責を感じていた!」からの続き
中西太打撃コーチの長所を伸ばす指導方法が追い風となっていた
1979年、4番に起用されることになり、本塁打を量産するため打撃フォームを改造したり、打席に入る時のルーティーンを考え直したという掛布さんですが、この年から、中西太さんが打撃コーチとしてチームに加わったことで、中西さんの、球を呼び込んで打つような大きなジェスチャーに、バットを大きく引いて打つイメージがより鮮明になったそうです。
また、中西さんの、良いところをどんどん引き出し、それで欠点を補う、長所を伸ばす指導方法が追い風となったそうです。
中西太打撃コーチ(左)と掛布さん(右)。
左打者でありながら浜風を味方につけ48本塁打(3割2分7厘)で本塁打王に輝いていた
そんな掛布さんは、本塁打王を意識するようになり、(左打者だったため)甲子園に吹く浜風に悩まされたそうですが、
(浜風とは、海のある右翼方向から左翼方向に向かって吹く甲子園特有の強風で、左打者にとっては、他の球場なら難なくライトスタンドまで届く打球が、押し戻されてライトフライになってしまうことが多々あります)
もともと、バットのヘッドが遅れ気味に出てくるスイングだった掛布さんは、この特徴を生かして、左中間方向へ長打を意識し、頭の中をグルグルと駆け巡る感覚を言葉に置き換えては、試したそうで、結果、「ボールの内側にバットを入れ、外側をたたくイメージ」という結論にたどりつき、浜風を味方につけることができたそうで、
このシーズン、打率3割2分7厘、48本塁打、95打点という素晴らしい成績を残し、見事、本塁打王にも輝いたのでした。
素手でバットを握ることにこだわっていた
また、掛布さんは、素手でバットを握ることにこだわったそうですが、これは、ボールに差し込まれた時、左手の握り具合を微妙に変えることで、凡打になりそうな打球が安打になることもあったからだそうで、手袋をはめていると、その融通が利かないのだそうです。
「掛布雅之はトレードされたら引退しようと決意していた!」に続く