1974年、阪神タイガースに入団すると、1年目から一軍に定着し、1979年、1982年、1984年には、本塁打王、1982年には打点王に輝くほか、1985年のリーグ優勝&日本一にも大きく貢献した、「4代目ミスタータイガース」こと、掛布雅之(かけふ まさゆき)さんですが、プライベートはどのようなものだったのでしょうか。今回は、そんな掛布さんの奥さんとの馴れ初めなどをご紹介します。

「掛布雅之が阪神の監督になれないのは一匹狼(派閥を作らない)だったから?」からの続き

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妻・安紀子との馴れ初めは?

掛布さんは、1979年シーズン終了後、金蘭短期大学の学生だった住谷安紀子さんと結婚しているのですが、1975年、(阪急から阪神に移籍してきた)米田哲也さんの紹介で、大阪府池田市にある宣真学園高校(現・宣真高等学校)1年生だった安紀子さんと知り合ったそうで、

ある日の試合後、米田さんに「カケちょっとついてこい」と声をかけられ、ユニホーム姿のまま、上にジャンパーを羽織った格好で、大阪府豊中市の某レストランへ連れて行かれると、そこで、住谷家の人たちに安紀子さんを紹介されたのだそうです。

(その頃の安紀子さんは、歌手に憧れ、高校に通うかたわら、大阪・東天満にある「国際アカデミー音楽学院」にも通っていたそうで、タレントを目指していたという話もあります)

妻・安紀子は美人で有名だった

ちなみに、産経新聞の記者・田所龍一氏によると、安紀子さんは美人で有名だったそうで、

田所氏は「虎番疾風録第2章」で、

当時、サンケイスポーツで学生アルバイトをしていた筆者は、編集局で「住谷安紀子」の名前を聞いたとき、思わず「あぁ、あの子か」と口を滑らせてしまった。

とたん、記者たちから「お前、知っとったんか?」と突き上げられた。知るも何も、池田市在住の筆者にとって3つ年下の安紀子さんは、ちょっとした有名人だったのだ。

「豊中の中学に通っていた頃から、界隈(かいわい)では『超かわいい子がいる』と評判でしたよ。僕が高校生の頃、千里セルシー(豊中市にある複合商業施設)によくいる-というので、探しに行ったことも。その子の名前がたしか住谷・・・」

「なんでもっと早う言わんのや!」

「そんなぁ。掛布の婚約者になるなんて、分かりませんやん」

と弁解しながらも、もし、一度でも掛布と安紀子さんがデートしているところを目撃していたら-と思うと、普段からアンテナを大きく広げていることの大切さを、このとき、早くも記者教訓として得たのである。

と、綴っています。

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妻・安紀子と共に婚約会見をしていた

さておき、1978年11月20日午後3時、掛布さん(23歳)は、安紀子さん(金蘭短大1年生、当時19歳)と共に婚約会見を行い、報道陣が約100人集まっているのですが、

安紀子さんは、記者からの、「どこでデートしていたの?」との質問に、

よく万博公園の日本庭園で・・・。お弁当を持って

さらに、「安紀子さんの手作り?」と聞かれ、

はい、わたしがおにぎりを作って持っていきました。掛布さんはタラコが大好きなので、タラコ入りを6つ。大きいのを5つ食べてくれました

と、答えています。

「掛布雅之が妻・安紀子と仲良くする為に心がけていることとは?」に続く

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