1980年、本塁打王と打点王の二冠王となり、広島カープの連覇に大きく貢献した、山本浩二(やまもと こうじ)さんは、1981年のシーズンも2年連続で本塁打王と打点王の二冠王となると、1982年も無タイトルながら好成績を残し、1983年には4度目の本塁打王に輝いているのですが、実は、持病の腰痛をかばいながらの成績だったといいます。

現役時代の山本浩二

「山本浩二は頭部死球を受けるも二冠王(本塁打王&打点王)を獲得していた!」からの続き

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山本浩二は1981年も2年連続で本塁打王と打点王の二冠王に輝いていた

1980年のシーズンは、マークが厳しくなり頭部死球を受けるも、打率3割3分6厘(リーグ3位)、44本塁打(リーグ1位)、112打点(リーグ1位)で、本塁打王と打点王の二冠王となるほか、得点、塁打、四球、長打率、出塁率の全てでリーグトップという素晴らしい成績で、広島カープの連覇に大きく貢献した山本さんは、

1981年のシーズンも、43本塁打、103打点で、本塁打王と打点王の二冠王(2年連続)となると、1982年も、打率3割6厘、30本塁打、90打点と、やや落ちるも好成績を残します。

山本浩二は1983年は4度目の本塁打王を獲得していた

そして、1983年も、

  • 4月24日の横浜大洋戦、9回一死満塁の場面で、クローザーの斉藤明夫投手から満塁本塁打
  • 4月30日の阪神戦でサイクル安打
  • 6月17日の中日戦、延長12回無死無走者の場面で、クローザーの牛島和彦投手からサヨナラ本塁打
  • 7月5日のヤクルト戦、9回無死無走者の場面で、黒田真二投手からサヨナラ本塁打

などの活躍で、

最終的には、打率3割1分6厘(リーグ4位)、36本塁打(リーグ1位タイ)、101打点で、自身4度目の本塁打王に輝いています。

(ただ、1976年10月22日の大洋戦から続いていた連続試合出場記録は、8月30日の阪神戦の試合前の打撃練習で背筋を痛めて欠場し、「872試合」で途切れています)

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山本浩二は持病の腰痛をかばいつつ4度目の本塁打王を獲得していた

ただ、この素晴らしい成績は、持病の腰痛をかばいながらの成績だったといいます。

実は、この時、山本さんは、腰痛のため、全身のバネをフルに使った本来のフルスイングが出来ず、特にインコースをさばく時には、その場で腰を回転させる意識で振り抜き、それによってバットのヘッドを振り抜き、本塁打を打っていたそうです。

また、球をとらえてからもうひと押しし、球をバットで運ぶような感覚で、飛距離を稼いでいたそうですが、それでも、腰への負荷がきつくなってくると、右方向へ球を運んで本塁打していたのだそうです。

(ちなみに、守備でも、長らく中堅選手としてセンターラインを守ってきた山本さんですが、年齢的なことや、長嶋清幸選手と山崎隆造選手が台頭してきたこともあり、1986年の開幕から左翼手にコンバートされています)

「山本浩二は古葉竹識監督にプライドを刺激され上手く操縦されていた!」に続く

現役時代の山本浩二

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