「三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBE」及び「EXILE」のメンバーで、俳優としても活躍している岩田剛典(いわた たかのり)さんですが、実家がとんでもなく名家でお金持ちです。今回は、そんな岩田剛典さんの家系図とともに、岩田剛典さんのルーツ(高祖父、曽祖父、祖父、父、母)をご紹介します。

岩田剛典

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岩田剛典の家系図が凄すぎる

では、さっそく、岩田剛典さんの家系図をご紹介しましょう。

岩田剛典の家系図

凄すぎるの一言!

お父さんの岩田達七さんは高級革靴メーカー・マドラスの社長で、親戚には、サントリー(壽屋)創業者の鳥井信治郎さんや阪急グループ創業者の小林一三さんまでいます。

また、小林一三さんの曾孫である松岡修造さん(元プロテニスプレイヤー)も親戚です。

  • 高祖父は、犬山ガス、岩田商店の創業者の初代・岩田武七さん
  • 曽祖父は、亜細亜製靴(後のマドラス)、下呂温泉湯ノ島館の創業者の二代目岩田武七さん
  • 祖父は、イタリア・マドラス社と技術提携するほか会社を靴の一流ブランドに育てた岩田考七さん
  • 父は、マドラス現社長の岩田達七さん
  • 親戚には、サントリー(壽屋)創業者の鳥井信治郎さんや阪急グループ創業者の小林一三さんも

では、順にご紹介していきましょう。

岩田剛典の高祖父の初代・岩田武七は「犬山ガス」「岩田商店」の創業者

岩田剛典の高祖父の初代岩田武七氏
岩田剛典さんの高祖父の初代岩田武七さん。

1847年(江戸時代の弘化4年)、尾張国中島郡(現・愛知県)東五城村で、武右エ門の次男として生まれたという、岩田剛典さんの高祖父(ひいひいおじいさん)の初代・岩田武七(いわた ぶしち)さんは、実家が酒造業を営んでいて裕福だったそうですが、

初代・岩田武七さんは、次男だったことから、独立しようと、鉄砲町の吉田屋という金物屋で修行すると、

26歳の時には、名古屋の鉄砲町108番地(現在のマドラス㈱本社の斜め向かい)に「岩田商店」を開き、陸軍相手に小間物商品を売って大成功したそうです。

(若宮八幡社の最も大きな鳥居には「明治40年寄進 岩田武七」と書かれているそうで、若宮八幡社に多額の寄付をできるくらい大金持ちだったことが分かります)

また、初代・岩田武七さんは、61歳の時には、イギリスから蒸気自動車を輸入して、名古屋初の乗り合いバスの会社も興したそうですが、これは、車両の故障が多くて失敗に終わったそうです。

それでも、64歳の時には、犬山ガス会社を設立すると、会社は現在もなお、犬山ガス㈱として存続しています。

(初代・岩田武七さんは、1915年(大正4年)、68歳で亡くなったそうです)

岩田剛典の曽祖父の二代目・岩田武七は「亜細亜製靴(マドラス)」「下呂温泉湯ノ島館」の創業者

岩田剛典の曽祖父の二代目岩田武七氏
岩田剛典さんの曽祖父の二代目岩田武七さん。

二代目・岩田武七は「亜細亜製靴(マドラス)」の創業者

岩田剛典さんの曽祖父(ひいおじいさん)の二代目・岩田武七(いわた ぶしち)さんは、1884年(明治17年)、初代・岩田武七さんとその妻・すゑさんの間に、長男として生まれたそうで、

1915年(大正4年)、31歳の時に家督を継ぎ、二代目・岩田武七を襲名すると、「岩田商店」を合名会社「岩田商店」と法人化し、軍靴の底に付ける金具を製造するべく、春日井、堀田、須田、犬山と、次々に鋳物工場を新設するほか、

靴そのものも製造するべく、亜細亜製靴株式会社(現・マドラス株式会社)を設立して、アメリカからグッドイヤー・ウエルト式製靴機械を輸入し、靴の製造販売も始めたそうです。

そして、日中戦争時には、陸軍指定工場となって軍靴を納入することとなると、本社工場を3倍に拡張するほか、分工場も新設するなど、大いに繁盛したのだそうです。

岩田剛典の曽祖父の二代目・岩田武七は「下呂温泉湯ノ島館」の創業者

そんな二代目・岩田武七さんは、飛騨地方に”第二の軽井沢”を作りたいと考えていたそうですが、折しも、下呂温泉が益田川の洪水により温泉場が水没したしたそうで、

地元に要請されて、温泉を掘り当てるべく、大規模な掘削工事を行うと、見事に温泉を掘り当てて下呂温泉を復活させ、その見返りに、湯之島地区に温泉採掘権を得たそうで、

1927年(昭和2年)には、飛騨川温泉土地株式会社を設立すると、1931年(昭和6年)には、下呂温泉湯之島館を完成させたそうです。

ちなみに、二代目・岩田武七さんは、1924年(大正13年)、40歳の時には、名古屋にも女学校が必要だと、私財を投じて名古屋市立第三高等女学校の創設を支援したそうです。

(二代目・岩田武七さんは、1948年(昭和23年)、64歳で亡くなったそうです)

岩田剛典の祖父の岩田孝七はイタリア・マドラス社と技術提携するほか会社を靴の一流ブランドに育てていた

岩田剛典の祖父の岩田孝七氏
岩田剛典さんの祖父の岩田孝七さん。

岩田剛典の祖父の岩田孝七さんは、1916年(大正5年)、二代目・岩田武七さんとその妻・きたさんの間に、次男として生まれると、

1937年(昭和12年)、国立名古屋高等商業学校(現・名古屋大学経済学部)卒業後は、すぐに専務として家業を手伝い、戦後は、軍靴から一般向けの靴に転換したそうですが、父の二代目武七さんが1948年(昭和23年)に亡くなった為、32歳の若さで会社を継いたそうです。

そして、1965年(昭和40年)、49歳の時には、イタリアの世界的高級靴メーカー「マドラス社」と技術提携すると、1983年(昭和58年)、67歳の時には、マドラスブランドの全世界製造販売権をイタリア・マドラス社から得て、社名をマドラス株式会社に変更し、ロサンゼルスのロデオドライブに出店して、「マドラス株式会社」を靴の一流ブランドに育てたそうです。

(しかし、翌年の1984年(昭和59)年、68歳で病死されたそうです)

岩田剛典の父親の岩田達七は高級革靴メーカー「マドラス」の代表取締役社長

岩田剛典の父の岩田達七氏
岩田剛典さんの父の岩田達七さん。

岩田剛典さんの父親の岩田達七さんは、岩田孝七さんの長男として生まれると、慶應義塾大学経済学部を卒業後の1973年(昭和48年)に「マドラス株式会社」に入社したそうで、

1980年には取締役、1984年には代表取締役、2010年(平成22年)には代表取締役社長に就任すると、2011年には、銀座、表参道、2013年には、原宿に出店するなど、積極的に営業を展開し、

2013年には、東京地方裁判所へ民事再生法適用を申請した「クラウン製靴株式会社」の民事再生スポンサーとして選ばれ、同年、(新会社)「クラウン製靴株式会社」を新設しています。

岩田剛典にとって父親の岩田達七は厳しい人だった

ちなみに、岩田剛典さんにとって、父・岩田達七さんは厳しい人で、子供の頃から祖父と父親の出身校である慶應義塾大学に行くように言われ、常に成績や順位を気にしなければならない環境に置かれて、苦しい少年時代を送っていたそうで、

岩田剛典さんは、

(小学校の頃の勉強時間は)夜の9時~10時まではしていた。1日10時間くらいは勉強やってました。よくやってましたね、飽きずに…

(中学受験に挑んだ理由は)父親が慶應義塾だったりもするので、親からも小さい時からとにかく『お前は慶応に行け』『慶応に入って三田会(同窓会組織)に入れ』とずっと言われ続けてきた小学生でした

と、語っています。

それでも、岩田剛典さんは、父・岩田達七さんから教えられた「多長根(たちょうこん)」という言葉をずっと大切にしているそうで、お父さんの教えはしっかりと受け止めているようです。

(多長根とは、あらゆる物事に動じない落ち着いた心構えと立ち振舞いのことをいい、多面的(複眼的)、長期的、根本的に考える習慣を指す言葉だそうです)

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岩田剛典の母親は一般人

岩田剛典さんの母親は一般人で、年齢や職業などは公開されていません。

ただ、岩田剛典さんは、2022年5月、髪の謎の男を演じた、映画「死刑にいたる病」の公開記念舞台挨拶で、

ちょっと母親に似ているなと思いました。母親似なんです。長髪にすると面影があるな、と思いました

と、自身の長髪姿が、母親似であることを明かしています。

また、岩田剛典さんのお母さんは教育熱心だったそうで、岩田剛典さんは小学生の頃から塾にたくさん通わされ、中学受験で私立の慶應義塾普通部に見事合格したそうですが、入学後は、お母さんとともに地元の名古屋から上京して二人暮らしをし、勉強に打ち込む毎日だったそうで、

岩田剛典さんは、

そういう意味では、厳しいほうで、束縛されてたかなという気がします

青春を奪われた感じがあります

と、語っています。

(岩田剛典さんは、お母さんと東京で二人暮らしをしていた時、お母さんと口論になり、壁を殴って穴を開けたこともあったそうです)

ちなみに、岩田剛典さんが、電話で芸能界に入ることを伝えた際には、お母さんは泣きながら猛反対したそうですが、岩田剛典さんの強い決意を目の当たりにして、最終的には(複雑な心境だったものの)送り出してくれたのだそうです。

そして、現在は、応援してくれているそうで、岩田剛典さんが、2016年、バラエティ番組「誰だって波瀾爆笑」(5月29日放送)に出演した際、お母さんからの手紙が読み上げられると、

私たち家族はいつでも剛典の味方ですから

と、締めくくられており、

岩田剛典さんは、思わず涙しています。

さて、いかがでしたでしょうか。

今回は、岩田剛典さんの家系図とともに、高祖父、曽祖父、祖父、父親、母親とご紹介しましたが、高祖父の時代から裕福だったにもかかわらず、高祖父、曽祖父、祖父と、3世代に渡って傑物揃いでさらに財を成したという、凄まじい一族でした。

しかも、子孫の岩田剛典さんに至っては、頭脳明晰でイケメン!

まさに雲の上の世界です・・・

岩田剛典の実家
門から玄関までが森で、ようやく家が見えた瞬間。

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