1969年、ドラフト1位で広島カープに入団すると、一気に才能開花とはならなかったものの、1972年に25本塁打するなど徐々に成績を上げ、7年目の1975年には、打率3割1分9厘で首位打者となるほか、安打、打点、本塁打でも自己最高を記録すると、1978年、1980年、1981年、1983年には本塁打王となるなど輝かしい成績を残した、山本浩二(やまもと こうじ)さん。

そんな山本浩二さんは、野球が好きでよく短波ラジオで中継を聴いていたお父さんの影響で野球を覚えると、小学校に入学した頃には、次兄の尚さんと一緒に野球をするようになり、中学入学後は、教育熱心だった両親の猛反対を押し切って野球部に入部したといいます。

今回は、そんな山本浩二さんの、生い立ち(幼少期から中学時代まで)をご紹介します。

山本浩二

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山本浩二のプロフィール

山本さんは、1946年10月25日生まれ、
広島県佐伯郡五日市町(現・広島県広島市佐伯区)の出身、

身長183センチ、
体重82キロ、

血液型はB型、

学歴は、
広島市立五日市小学校
⇒広島市立五日市中学校
⇒広島県立廿日市高等学校
⇒法政大学文学部英文学科

だそうです。

山本浩二は小学校1年生から野球好きの父親の影響で野球をするようになっていた

山本浩二さんは、元陸軍少佐で戦後は上下水道の配管工事を請け負う「広島機管工業」を営んでいたお父さん・武さんとお母さん・正江さんのもと、4人兄姉(兄2人、姉1人)の末っ子として誕生すると、

幼い頃は、物静かでおとなしい少年だったそうですが、野球が好きでよく短波ラジオで中継を聴いていたお父さんの影響で野球を覚えると、小学校に入学した頃には、次兄の尚さんと一緒に野球をするようになったそうです。

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山本浩二は中学時代に野球部で三塁から投手に転向させられていた

そんな山本浩二さんは、中学に進学するとすぐに野球部に入部したそうですが、教育熱心だった両親の猛反対を押し切っての入部だったといいます。

すると、野球部では、当初は、三塁を守らされていたそうですが、やがて、投手を命じられたそうで、中学2年生の秋には、佐伯郡(現・広島市佐伯区)の大会で投手として出場すると、見事優勝したそうです。

そして、中学3年の時には、強豪・広陵高校から推薦入学の誘いを受けたそうですが・・・

山本浩二さんは、将来、プロに入れるとは思えず、広陵高校野球部でもレギュラーになれるとは思えず、両親が大学進学を希望していることもあり、広陵高校は受験せず、公立の廿日市高校を受験したのだそうです。

「【画像】山本浩二の若い頃が凄い!高校からプロ野球現役時代までの経歴を時系列まとめ!」に続く

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