1985年には、打率3割5分、54本塁打、134打点、1986年には、打率3割8分9厘(NPB記録)、47本塁打、109打点で、2年連続三冠王に輝くほか、NPB在籍6年間で、打率3割3分7厘、202本塁打、486打点という凄まじい成績を残したバースさんですが、プライベートはどのようなものだったのでしょうか。今回は、バースさんの奥さんやお子さんなどをご紹介します。
「ランディ・バースは阪神解雇後は政治家になっていた!」からの続き
現役引退後に離婚&再婚していた
バースさんは、1992年に妻のリンダさんと離婚し、その後、2002年にケリーさんと再婚しているそうです。
(バースさんは、阪神でプレーしていた時、妻のリンダさんが極度のホームシックにかかってしまったそうですが、バースさんが現役を引退し、アメリカに戻ると、その反動か、リンダさんの社交が活発化したそうで、それが理由で離婚したと言われています。)
子供は前妻との間に2人と現在の妻との間に1人
ちなみに、前妻のリンダさんとの間には、男の子と女の子が1人づつ、現在の妻・ケリーさんとの間には女の子が1人誕生しているそうで、
まず、リンダさんとの間に誕生した長男のザクリーさんは、水頭症を患うも、その後は元気になり、2023年現在、42歳で、タイヤ製造メーカーのグッドイヤーに勤務しているそうです。
(バースさんの地元・オクラホマ州ロートンには、グッドイヤー最大のタイヤ工場があるそうです)
そして、次女(現在の妻・ケリーさんとの娘)はレミーさんというそうで、2023年現在、20歳とのことです。
(長女はステイシーさんというそうですが、詳しいことは不明です)
孫は5人
また、長男のザクリーさんには、男の子と女の子が1人づつ、長女のステイシーさんには男の子1人と女の子が2人誕生しているそうで、
バースさんは、
1番幼い子は1歳半だよ。男の子はもう大学の年齢になっていて野球はやってないけど、女の子はソフトボールをやっているよ
と、優しいおじいちゃんの表情で語っており、
現在は、子供たちも暮らすオクラホマ州ロートンで、穏やかな日々を送っているようです。
さて、いかがでしたでしょうか。
ランディ・バースさんの
- 年齢は?出身は?身長は?
- 本名はバースではなくバス
- 阪神時代に川藤幸三に将棋を教えてもらっていた
- 幼少期に足を複雑骨折した影響で全力疾走できず守備に難があった
- ミネソタ・ツインズのマイナーで5年過ごした後メジャーデビューするもウォーニングトラック・フライボールヒッターで出場機会に恵まれなかった
- カンザスシティ・ロイヤルズに移籍するも出場機会に恵まれなかった
- モントリオール・エクスポズに移籍するも出場機会に恵まれなかった
- サンディエゴ・パドレスに移籍し出場機会に恵まれるも成績はパッとせず
- テキサス・レンジャーズに移籍するも成績は振るわなかった
- パドレスのジャック・マキーオン代表からヤクルトスワローズの相馬和夫球団代表と武上四郎監督に売り込まれていた
- ヤクルトスワローズはバースの打撃フォームを分析し強い関心を抱いていた
- ヤクルトはバース獲得に動いていた
- ヤクルトはバースが膝を故障し外野を守れないことが分かると手を引いていた
- 阪急と阪神でバースの争奪戦となるも、最終的には阪急がブーマーに乗り換え、阪神がバースを獲得
- 阪神入団1年目の1983年4月は無安打で終わり、助っ人の球団ワースト記録を更新していた
- 1年目の1983年は最終的には、打率2割8分8厘、35本塁打、83打点の好成績を収めていた
- スティーブ・ストローターとともに解雇の候補に上がっていた
- 1年目の1983年は後半だけで26本塁打していた
- 入団1年目の1983年に続き2年目の1984年も解雇の危機に瀕していた
- 安藤統男監督も吉田義男監督もバースの残留を強く希望していた
- 開幕3試合では15打数2安打0本塁打と低調だった
- 巨人・槙原寛己投手には当初抑え込まれていた
- バックスクリーンへ1号となる逆転3ランホームランを放っていた
- 掛布雅之、岡田彰布と共に甲子園バックスクリーン3連続ホームランとなっていた
- 甲子園バックスクリーン3連発についてのランディ・バースのコメント
- 1985年は三冠王に輝く活躍で阪神のリーグ優勝と日本一に大きく貢献していた
- 鋭い観察力で投手や捕手のクセを見抜いていた
- 長崎啓二のバットを拝借し本塁打を量産していた
- 王貞治のホームラン記録55本にあと1本と迫るも勝負してもらえなかった
- 巨人・江川卓投手だけは真っ向勝負してきた
- いつも勝負してくる江川卓投手を「最高のピッチャー」と讃えていた
- 2年連続三冠王かつNPB記録の3割8分9厘
- 吉田義男監督の采配を批判していた
- 吉田義男に詫びを入れていた
- 1987年も好成績を残すもチームは最下位に沈んでいた
- 1988年は村山実が新監督に就任するも関係は冷え切っていた
- 長男・ザクリーが水頭症を患い緊急手術を受けていた
- 5週間後の6月17日までに帰国する契約書にサインしていた
- 家族が病気になった場合の治療費は阪神球団が負担する契約になっていた
- 阪神球団からは7月1日までに帰ってほしいと言われ6月26日にいつでも日本に戻れると電話を入れていたが・・・
- 阪神球団からは、突然、解雇を通達されていた
- 突然の解雇は阪神球団が保険に入っておらず、多額の医療費を負担することを恐れた為?
- 多額の治療費を巡り、阪神球団と泥沼の争いをしていた
- バースを解雇した阪神はその後暗黒時代へと突入していた
- 阪神を解雇された後も日本での復帰を望んでいた
- 中日、ヤクルト、ダイエーからオファーがあった?
- 34歳という若さで引退していた
- プロ野球選手(現役)時代の打撃成績
- ホームラン王2回、首位打者2回、打点王2回ほかタイトル多数
- シーズン打率3割8分9厘ほかNPB記録多数
- 野球殿堂、ベストナイン3回ほか表彰も多数
- 背番号
- 現役引退後は兄と故郷オクラホマで牧場を経営するほか、巨人のスカウト、高校で女子ゴルフのコーチも
- 故郷オクラホマ・ロートンで政治家として活動していた
- 現在は牧場を貸し、のんびりと暮らしている
- 現在は野球には携わっていない
- 2023年には野球殿堂入り
- かつての盟友・岡田彰布もバースの野球殿堂入りを祝福
- 現役引退後に離婚&再婚していた
- 子供は前妻との間に2人と現在の妻との間に1人
- 孫は5人
について、まとめてみました。
1985年、1986年、2年連続2度の三冠王に輝くなど、日本プロ野球史上最強の助っ人と呼ばれるも、ホームランを打っても、打たれて落ち込んでいる投手に追い打ちをかけるようなことはしたくないと、決して派手なガッツポーズなどせず、淡々と塁を回るなど、打撃技術だけでなく、人間的にも素晴らしかったバースさん。
いつかまた、阪神のユニホームを着る姿を見たいものです。
「ランディ・バースは若い頃メジャーリーグでレギュラーになれなかった!」