息子・ザクリー君の治療費が大きな原因で阪神球団から解雇されたと言われている、ランディ・バース(Randy Bass)さんは、そのまま、引退となっているのですが、実は、中日、ヤクルト、ダイエーからオファーがあったといいます。

「ランディ・バースが解雇されたのは息子の医療費が原因だった?」からの続き

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阪神を解雇された後も日本での復帰を望んでいた

1988年、阪神から解雇されたバースさんは、わずか22試合の出場で、打率3割2分1厘、2本塁打、8打点に終わっているのですが、前年までの成績が凄まじく、バースさん本人も日本での復帰を望んでいたことから、多くの球団が水面下で接触していたようで、

バースさんが来日した年に阪神の監督を務めていた安藤統男さんが作戦コーチを務めるヤクルト入りが度々報じられていたほか、巨人の王貞治監督も、「バースが獲得できるものならお願いしたい」と、一時期、乗り気だったといいます。

中日、ヤクルト、ダイエーからオファーがあった?

ちなみに、バースさんも、1988年、「週刊ポスト」(8月5日号)の取材に対し、

いま中日ドラゴンズが誘いにきている。落合とオレで3番、4番を打たせたいらしい

と、答えているほか、

1988年、「週刊現代」(12月3日号)の独占インタビューでは、

今のところ、代理人にはスワローズとホークスから話が来ている。メジャーリーグ3球団からも誘いがあるが、阪神タイガースにいたときの年俸を保証してくれれば、ボクは喜んでホークスにいくよ

と、福岡に移転したばかりだったダイエー・ホークスに強い興味を示していたのですが・・・

(メジャーの控え一塁手兼代打要員より、高額年俸の日本球界でプレーしたいとの思いがあったようです)

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34歳という若さで引退していた

バースさんは、1989年春、健康を取り戻したザクリー君とともに再来日すると、お世話になった人々に挨拶とお礼をするほか、初めて東京ドームで巨人と西武のオープン戦を親子で観戦するのですが、以降、日本野球界に復帰することなく、34歳という若さで引退しています。

(一連の医療費の交渉で、球団とお金で揉めているイメージがつき、契約に至らなかったとされていますが、日本で1億円を超えると報道されていたザクリー君の治療費は、実際には、トータル5万ドル(650万円)ほどで済んだといいます)

「ランディ・バースの現役(プロ野球選手)時代の成績が凄すぎる!」に続く


バースの日記。

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