息子・ザクリー君の手術と治療のため、阪神球団とは「5週間後の6月17日までに帰国する」ということで話がまとまり、アメリカ帰国後も、連絡を取り合っていたにもかかわらず、6月27日、突然、解雇されてしまったという、ランディ・バース(Randy Bass)さん。実は、その背景には、ザクリー君の治療費を巡る問題があったといいます。
突然の解雇は阪神球団が保険に入っておらず、多額の医療費を負担することを恐れた為?
6月27日、突然、阪神球団から解雇されたバースさんですが、実は、阪神球団との契約には、「家族が病気になった場合には球団が治療費を負担する」との条項があり、バースさんが、息子の治療費は契約通り、保険で支払ってくれるのかと、友人で阪神編成部員兼通訳の本多達也氏に聞くと、本多氏には、「間違いなく支払う」と言われていたそうですが、
実際のところ、阪神球団は保険には加入していなかったそうで、高額医療費を負担するのを恐れてバースさんを解雇したと言われています。
阪神球団は高額年俸のバースと掛布を排除しようとしていた?
また、当時、阪神は、6月10日に球団社長が退任し、新社長が就任しているのですが、それは、高額年俸だった掛布雅之選手とバースさんを排除し、安い戦力に転換するためだったようで、
バースさんだけでなく、掛布選手も、開幕前に、飲酒運転事件を起こすと、当時は今ほど厳しくなく、世間の話題的にもそれほど大きな問題ではなかったにもかかわらず、オーナーからは、「大バカで幼稚な男」「うちの4番は欠陥商品」と罵られ、新監督の村山監督にも、6番に降格させられたうえ、さらに、試合後の話し合いでは、「掛布、お前は疲れてるんや。女房連れて温泉にでも行ってこいや」と、遠回しに事実上の戦力外を告げられていたといいます。
(実際、掛布選手は33歳の若さでこの年限りで引退しています)
多額の治療費を巡り、阪神球団と泥沼の争いをしていた
さておき、バースさんは、阪神球団とは、1987年オフに270万ドル(3億5100万円)で2年契約をしていたそうですが、7300万円の支払いは受けたものの、残りの2億7800万円は未払い状態だったほか、ザクリー君の今後の治療費を巡って泥沼の争いとなり、9月下旬に、ようやく、医療費名目で総額155万ドル、そして、保険に代えて信託基金の設定をすることで和解したといいます。
(そんな中、7月19日には、バースさんの退団を巡ってバースさんと阪神球団の板挟みになっていた、阪神球団代表の古谷真吾氏が東京都内のホテルで飛び降り自殺しています)
バースを解雇した阪神はその後暗黒時代へと突入していた
ちなみに、阪神は、バースさんが退団した後、新外国人・ルパート・ジョーンズ選手を緊急獲得しているのですが、52試合で、打率2割5分4厘、8本塁打、27打点と、活躍には程遠い成績に終わり、チームも最下位を独走。
以降、阪神は、長い暗黒時代へと突入しています。
(1988年最下位、1989年5位、1990年最下位、1991年最下位、1992年2位、1993年4位、1994年4位、1995年最下位、1996年最下位、1997年5位、1998年最下位、1999年最下位、2000年最下位、2001年最下位)
「ランディ・バースは阪神解雇後ヤクルト・中日・ダイエーからオファーがあった?」に続く