1995年、「おしろい花」でデビューすると、2003年には、「鳥取砂丘」が大ヒットを記録し、以降、”ご当地ソングの女王”と呼ばれるなど、演歌歌手としての地位を確立した、水森かおり(みずもり かおり)さん。
そんな水森かおりさんは、幼い頃から、歌が好きな家族に囲まれて育ったことから、歌を歌うことが好きで、小学生の頃から高校生まで、のど自慢大会に出場していたそうですが、歌手には、憧れつつも自分がなれる訳がないと思い、高校卒業後は、秘書の資格を取るために短期大学に進学していたといいます。
今回は、水森かおりさんの生い立ち(幼少期から下積み時代まで)をご紹介します。
水森かおりのプロフィール
水森かおりさんは、1973年8月31日生まれ、
東京都北区の出身、
身長153センチ、
血液型はB型、
学歴は、
北区立滝野川小学校
⇒北区立堀船中学校
⇒城西大学附属城西高校
⇒城西大学女子短期大学部卒業
本名は、「大出弓紀子(おおで ゆきこ)」で、愛称は「みもりん」です。
水森かおりが幼い頃は音楽に恵まれた環境で育っていた
水森かおりさんは、2人姉妹の妹として誕生すると、幼い頃は、祖父母が民謡や都都逸(どどいつ)、両親が演歌や歌謡曲、7歳年上のお姉さんがロック(ヘヴィメタルのバンドのヴォーカルをやっていた)と、家族全員、歌が好きだったことから、いろいろな音楽を聴きながら育ったそうで、
特に、お姉さんの影響もあり、ボンジョヴィやモトリー・クルーなどのロックが好きだったそうです。
水森かおりは幼少期から歌が上手く、小学生の頃から高校生になるまでのど自慢大会に出場して地元では有名だった
また、水森かおりさんは、幼少期から歌がうまく、小学生の時から高校生になるまで、素人参加型ののど自慢大会に出場していたそうで、
小学4年生の時には、「土曜トップスペシャル 輝け!1984年度日本ちびっこ歌謡大賞」に出場するほか、中学生の時には、「千葉テレビカラオケ大賞」(現・チバテレビカラオケ大賞21)のグランドチャンピオン大会で3位に入賞したこともあったそうです。
こうして、水森かおりさんは、地元やのど自慢大会の出場仲間の間で有名になったそうですが、水森かおりさん自身は、歌手への憧れを抱きつつも、自分が歌手になれるとは思っていなかったそうです。
水森かおりは高校3年生の時に歌手を諦め秘書を目指して短期大学に進学していた
それでも、高校3年生となり、進路を考える時期になると、歌手を目指すべきか悩んだそうですが、
結局は、
夢みたいなことを言っていないで現実を見よう
と、考え、
英語が好きだったため、外資系の企業に就職して秘書として働けたら、と思い、秘書を目指して短期大学に進学したのだそうです。
水森かおりは短期大学在学中のアメリカでのホームステイでの出来事がきっかけで歌手を目指す決意をしていた
その後、水森かおりさんは、短期大学在学中、アメリカのリバーサイドに留学したそうですが、留学中、クリスマスパーティーで、お世話になったホストファミリーに日本語で「赤鼻のトナカイ」を歌ったところ、ホストファミリーが涙を流して喜んでくれたそうで、
この時、水森かおりさんは、
歌には言葉がわからなくても通じ合えるものがある、涙を流すほど感激させられる力がある
と、感じ、
それまで自分の中で諦めてフタをしていた歌手になりたいという気持ちがバーンとはじけたそうで、演歌歌手を目指そうと決意したのだそうです。
(演歌は子供の頃からよく歌っていたことから、歌手になるなら演歌を歌いたいと思ったのだそうです)
水森かおりの下積み時代は事務所のスタッフとして電話番やお茶くみをしていた
こうして、水森かおりさんは、帰国後、歌手になるべく、すぐにオーディションを受け始め、レッスン通いも始めたそうですが・・・
事務所には入ったものの、デビューの話はなく、スタッフの一員として電話番やお茶くみをする毎日だったといいます。
「【画像】水森かおりの若い頃は?代表曲は?デビューから現在までの経歴を時系列まとめ!」に続く
1995年9月25日、22歳の時、「おしろい花」でデビューすると、オリコン演歌・歌謡ランキングで初登場3位のヒットも、その後、長らく売上はパッとせず、2002年4月24日、29歳の時にリリースした10枚目のシングル「東尋 …