1966年、15歳の時、「こまっちゃうナ」でレコードデビューすると、いきなり大ヒットとなり、1972年には、「どうにもとまらない」も大ヒットとなった、山本リンダ(やまもと りんだ)さん。

そんな山本リンダさんは、1970年代後半からは人気が低迷するのですが、1980年代には、米米CLUBがライブで山本リンダさんの楽曲を演奏したことで若い世代に広く知れ渡ると、

1990年には、アニメ「ちびまる子ちゃん」で、主人公のまる子が山本リンダさんをマネして歌うシーンが何度も登場したことで、3度目のブレイクを果たしています。

今回は、山本リンダさんの、若い頃(レコードデビュー)から現在までの代表曲(シングル)ほか経歴を時系列でご紹介します。

山本リンダ

「山本リンダの生い立ちは?ハーフでイジメられるもモデルから歌手デビューしていた!」からの続き

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山本リンダは15歳の時にデビュー曲「こまっちゃうナ」が100枚を売り上げる大ヒット

山本リンダさんは、中学1年生からモデルとして活動していたのですが、そんな中、歌手への夢が捨てきれず、歌のレッスンに通っていた1966年、15歳の時、シングル「こまっちゃうナ」で歌手デビューを果たすと、

明るくアップテンポなこの「こまっちゃうナ」は、100万枚を売り上げる大ヒットを記録し、瞬く間にスターダムにのし上がります。

「こまっちゃうナ」
「こまっちゃうナ」

山本リンダは20歳の時に特撮ドラマ「仮面ライダー」のマリ役でお茶の間の知名度が急上昇していた

ただ、その後、売れない時代が続き、満ちていた潮がサーッと引くように、コンサート会場の観客席も空きが出るようになったそうですが、

レコード会社の移籍に伴い、音楽活動が制限されていた1971年、20歳の時、特撮ドラマ「仮面ライダー」の第14話と第39話にマリ役で出演すると、

「仮面ライダー」の人気と共に、山本リンダさんの知名度も、子供達だけではなく、お茶の間で急上昇します。

山本リンダ
山本リンダさんが演じた「マリ」はフェンシングが得意な女の子という設定でした。

山本リンダは21歳の時にシングル「どうにもとまらない」の大ヒットで再ブレイクしていた

そんな中、山本リンダさんは、歌手としても成功したいと、「こまっちゃうナ」のイメージを完全に打ち破るため、発声法を変えたり、衣装の雰囲気を変えたり、お化粧を変えたりと試行錯誤していたそうですが、なかなかヒットにはつながらなかったそうです。

しかし、1972年6月5日、21歳の時、久悠さんと都倉俊一さんのゴールデンコンビによるシングル「どうにもとまらない」をリリースすると、

大人の女性へと大胆にイメージチェンジをした衣装やダンスが世間に衝撃を与え、大ヒット。

山本リンダさんは、見事、再ブレイクを果たしたのでした。

「どうにもとまらない」

ちなみに、山本リンダさんは、この「どうにもとまらない」の作曲家の都倉俊一さんから鬼のような猛特訓を受けたそうで、

阿久悠先生、都倉俊一先生のコンビによる『どうにもとまらない』をいただいたときは、「なんてカッコいい曲なんだろう! これでヒットしなかったら、私は歌手としてもうダメだ!!」と本気で思いました。まさに願っていた通りの詞と曲でした。しかも新鮮で、今まで日本になかったような曲調です。心が躍りました。

都倉先生のレッスンは半端ではありませんでした。

「絶対笑うな、にらみつけて歌え!」「よくこれで歌手なんかやっていたな。もっと腹から声が出ないのか!」「口は横に開くんじゃない、縦だ!」「目の前の壁に声をぶつけてみろ!」…

しかし、新しい「山本リンダ」に生まれ変わるために、厳しいレッスンは望むところでした。

と、語っています。

山本リンダが21歳の時には「狂わせたいの」「じんじんさせて」「狙いうち」などヒット曲を連発していた

そんな山本リンダさんは、その後も、阿久悠さんと都倉俊一さんのゴールデンコンビによって、

  • 1972年9月5日「狂わせたいの」
  • 1972年11月5日「じんじんさせて」
  • 1973年2月25日「狙いうち」
  • 1973年6月10日「燃えつきそう」
  • 1973年12月10日「きりきり舞い」

と、続け様にリリースし、大胆な衣装に身を包んで情熱的なダンスでエロティックに歌い上げると、ヒットを連発。

「燃えつきそう」
「燃えつきそう」

山本リンダさんは、

一連のヒット曲の中でも、『狙いうち』はその後も世代を超えて歌い継がれ、平成になっても今どきの歌として新鮮に受け止めていただき、第3次リンダブームが巻き起こり、『NHK紅白歌合戦』にも17年ぶりに出場させていただきました。

今でもイントロを聴くだけで、体中からエネルギーがわいてきます。今でも元気な秘訣は、自分にいただいた曲のおかげでもあると思います。

と、語っています。

山本リンダは20代後半から再び人気が低迷し不遇の時代を過ごしていた

そんな山本リンダさんも、1970年代後半になると、再び人気が低迷し、所属事務所を解雇されたそうで、

地方のスナック巡りをしていたそうですが、そんな中、追い打ちをかけるように、最愛のお母さんが突然他界されるなど、不遇の時代を過ごしたそうです。

山本リンダは39歳の時にアニメ「ちびまる子ちゃん」に登場し3度目のブレイクを果たしていた

しかし、1980年代になると、米米CLUBがライブで山本リンダさんの楽曲をカバーしたことで、若い世代にも広く知れ渡るようになると、

(米米CLUBは1982年結成当時から山本リンダさんの楽曲をライブで演奏していたそうですが、最後までファンの間では人気が高かったそうです)

1990年、39歳の時には、アニメ「ちびまる子ちゃん」で、主人公のまる子が山本リンダさんをマネて、

♪ウララ~、ウララ~

と、歌うシーンが登場し、このことがきっかけとなり、山本リンダさんは、再び脚光を浴びます。

(その後も、アニメでコマーシャルに移るとき、まる子が、毎回「♪ウララ~、ウララ~」と歌うシーンが登場したそうです)

すると、その翌年の1991年には、山本リンダさんのコンサートに子供たちとその母親が殺到するなど、3度目のブレイクを果たしたそうで、

山本リンダさんは、

私は『ちびまる子ちゃん』のアニメを知らなくて“子供がサインを欲しがっている”と聞いて漫画とアニメを見て、私が出ていると知ってビックリ。

3世代、4世代と知ってもらって、すごくうれしかったのをさくらさんにもお伝えすると『私も大ファンでした』と笑顔で言っていただきました

当時、全国あちこちの小学校で、子どもたちがまるちゃんのように机の上にのぼって、シャツをまくって歌ったそうです。

当時の若いママや子どもたちが私のことを好きになってくれたのは、まるちゃんのおかげです。本当にありがたいなぁって、いつも心の中には、(作者のさくら)ももこさんのことがありました

などと、語っています。

(まる子が好きだった歌手は、山口百恵さん、西城秀樹さん、そして山本リンダさんだったそうで、まる子はアニメ中、何度も「リンダ、リンダ」と連呼していたそうです)

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山本リンダの主なシングル一覧

それでは、最後に、山本リンダさんの主なシングルをご紹介しましょう。

  • 1966年「こまっちゃうナ」
    「こまっちゃうナ」
  • 1967年「涙がとまらない」
  • 1968年「帰らなくちゃ」
  • 1969年「チキチキバンバン」
  • 1970年「トンボのメガネ」
  • 1971年「水に流すわ」
  • 1972年「どうにもとまらない」
    「どうにもとまらない」
  • 1972年「狂わせたいの」
  • 1972年「じんじんさせて」
  • 1973年「狙いうち」
  • 1973年「燃えつきそう」
  • 1973年「きりきり舞い」
    「きりきり舞い」
  • 1974年「真赤な鞄」
  • 1975年「恋は熱烈」
  • 1976年「私の恋人、たいやきくん!」
    「私の恋人、たいやきくん!
  • 1977年「失恋蝙蝠男」
  • 1978年「港のソウル」
  • 1980年「写楽」
  • 1981年「ゆれてムーン・ライト」
  • 1983年「フラッシュダンス」
  • 1984年「酒場で」
  • 1991年「エル・ソル~太陽の唄~」
  • 1992年「恋は呪文よ!アブラカダブラ」
  • 1997年「夢はどこへいった」
    「夢はどこへいった」
  • 2004年「リンダ」
  • 2005年「どうにもとまらない~ノンストップ」
  • 2007年「真夜中のピエロ」
  • 2008年「15のBの指定席」
  • 2009年「踊りましょッ!」
  • 2012年「恋は花火か 地の雪か」
  • 2022年「明日への翼」
    「明日への翼」

と、数多くのシングルをリリースしています。

「山本リンダの夫・稲葉光彦との馴れ初めは?結婚後の夫婦仲は?子供は?」に続く

お読みいただきありがとうございました

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