「こまっちゃうナ」「どうにもとまらない」「狙いうち」などのヒット曲を連発するも、幾度か低迷期を経験し、不遇な時代を過ごしたこともあるという、山本リンダ(やまもと りんだ)さん。
そんな山本リンダさんの芸能活動を支えてくれたのは、お母さんだったといいます。
今回は、山本リンダさんの、お母さんとお父さんについて調べてみました。
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山本リンダは父親にとてもかわいがられていた
山本リンダさんのお母さんの百合子さんは、福岡県小倉市のダンスホールでダンサーとして働いていた時、アメリカ軍兵士だったお父さんのマイクさんと知り合ったそうですが、
山本リンダさんが誕生すると、お父さんは、
リンダ、リンダ
と言って、とてもかわいがってくれたそうです。
(「リンダ」には、スペイン語で「かわいい」「愛しい」という意味があるそうです)
しかし、山本リンダさんが1歳になる前に、お父さんは朝鮮戦争で戦死してしまい、以降、お母さんの手によって育てられ、暮らしはとても厳しかったそうです。
山本リンダは父親似
ちなみに、山本リンダさんが、幼い頃、お母さんとお風呂に入り、石鹸の泡で眉毛を作って遊んでいると、
お母さんから、
あつ子(山本リンダさんの本名)、お父さんと似ているね
と、言われ、
その後も、時々、
お父さんに似ている
と、言われたそうで、
山本リンダさんは、
お父さんはこういう顔だったんだ
と、思ったそうです。
山本リンダはイジメられると、母親に膝に乗せてもらい慰めてもらっていた
そんな山本リンダさんは、4歳の時に、福岡県小倉市から横浜に転居すると、まだ、ハーフが珍しい時代だったことから、近所の子供たちに、”合いの子”と言われてイジメられるほか、大人たちからも白い目で見られていたといいます。
ただ、そんな時、お母さんは、山本リンダさんを膝に乗せ、
あつ子(山本リンダさんの本名)、人をいじめる子は心が狭い人なのよ。これからはね、世界中の人が仲良くしなくちゃいけないのよ。人をいじめるなんて時代遅れ。
(アンデルセン童話の「みにくいアヒルの子」の話をした後)みにくいアヒルの子は、最後は白鳥になるの。あつ子は白鳥なのよ。だから、自信を持って育ってほしいの
と、慰めてくれたそうで、
山本リンダさんは、お母さんのこの言葉に勇気をもらい、自分を卑下することなく、過ごすことができたのそうです。
山本リンダの母親はモデル活動を応援してくれていた
その後、山本リンダさんは、小学6年生の時に、自ら、雑誌の少女モデル募集に応募し、モデルとしてデビューしているのですが、
お母さんは、その時、
あつこがやりたいことだったらいいよ
と言って、応援してくれたといいます。
山本リンダは母親から常に「天狗になるな」と厳しく言われていた
また、山本リンダさんが、売れっ子のモデルになると、
お母さんには、
あつこ、この頃ちょっと天狗になってる(モデルで売れたことから)。そんな人間になるなら、すぐ辞めてくれ
と、言われ、
15歳の時、「こまっちゃうナ」で歌手デビューし、100万枚を売り上げる大ヒットとなった時も、
あつこ勘違いするんじゃないよ。人間としてどう生きるかが大事なんだよ
と、常に言い聞かせられたのだそうです。
山本リンダは人気が低迷する中、母親にだけは愚痴をこぼし励ましてもらっていた
その後、山本リンダさんは、ヒット曲が出ず、人気が低迷していた時期が続いていたのですが、周囲には弱みは見せず、お母さんにだけは愚痴を聞いてもらっていたそうで、
山本リンダさんは、ずっと、お母さんに励まし続けてもらったのだそうです。
山本リンダの母親は「狙いうち」のヒット後、50歳の若さで他界していた
こうして、山本リンダさんは、陰でお母さんに支え続けてもらっていたそうですが、
1973年にリリースしたシングル「狙いうち」がヒットした後、お母さんは、50歳の若さで、自宅の浴室の事故で他界されたそうで、
山本リンダさんは、突然のお母さんの死を、
(お母さんは)大阪の人なので元気なのですが、もともと内臓がよくなかったんです。母はそれこそ40歳代半ばぐらいから『これでも長生きしてるんよ』といつも言っていた。
私も母を見ながら、今年も元気でいてくれてるって、そんな思いで(励まされていた)。母が亡くなったときは、歳は若かったけれど、私のために一生懸命生きてくれたって。そんな(感謝の)思いの方が強かったです
と、語っています。
ちなみに、山本リンダさんは、1970年後半から再び人気が低迷し、所属事務所を解雇され、地方のスナックなどで営業周りをするなど、不遇な時代を過ごしたそうですが、
そんな中でも、お母さんを悲しませないようにとの思いから、いつも前向きに頑張って来たといいます。
山本リンダさんと母の百合子さん。
ファッションモデルを経て、1966年、15歳の時、「こまっちゃうナ」で歌手デビューすると、100万枚を売り上げる大ヒットを記録し、 1972~1973年、21歳の時にも、「どうにもとまらない」「狂わせたいの」「狙いうち」 …