1973年、24歳の時にデビューすると、以降、40年以上に渡り、世界を代表するロックシンガーとして頂点に君臨し、アルバム総売上げ1億5千万枚を誇る「エアロスミス」のヴォーカル、スティーヴン・タイラー(Steven Tyler)さん。

そんなスティーヴン・タイラーさんは、幼い頃は、音楽家だったお父さんが弾くピアノの下に潜り込み、ピアノの音色を聴きながら、想像の世界を作り上げるなど、音楽に恵まれた環境で育つと、

1960年、12歳の夏には、当時、「Twist」という曲が大ヒットしていたチャビー・チェッカーのライブを観てロックンロールに目覚めたといいます。

今回は、スティーヴン・タイラーさんの生い立ちをご紹介します。

スティーヴン・タイラー

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スティーヴン・タイラーのプロフィール

スティーヴン・タイラーさんは、1948年3月26日生まれ、
アメリカ合衆国ニューヨーク州ヨンカーズの出身、

身長177センチ、

血液型は不明、

本名は、「スティーヴン・ヴィクター・タラリーコ」(Steven Victor Tallarico)、

学歴は、レオンカスティング・ハイスクール卒業、

ちなみに、スティーヴン・タイラーさんは、イタリア系、ウクライナ系ユダヤ人(当時はロシア)、インディアン(チェロキー族)など様々な血が流れているそうです。

スティーヴン・タイラーは音楽家の父親のもと誕生していた

スティーヴン・タイラーさんは、名門・ジュリアード音楽大学卒で音楽家(音楽教師)だったお父さんのもと、ブロンクスの総合病院で誕生すると、一家は、すぐにマンハッタンに引っ越ししたそうですが、

1951年、スティーヴン・タイラーさんが3歳の時、一家は再びブロンクスに戻り、9歳までブロンクスで暮らしたそうです。

スティーヴン・タイラーが幼い頃は父親が弾くピアノの下に潜り込み想像の世界を作り上げていた

ブロンクスの自宅アパートの居間の一角には、お父さんのグランドピアノがドーンと置かれており、お父さんは、ショパン、ドビュッシー、バッハなど、毎日3時間くらいピアノの練習をしていたそうですが、

スティーヴン・タイラーさんは、そんなお父さんのピアノの下に潜り込み、想像の世界を作り上げていたそうで、

居間は魔法の空間だった

Dream Onのコード進行はその頃に聴いたものからきているんだ。

と、語っています。

(「Dream On」は、エアロスミスのファーストアルバム「野獣生誕」に収録されています)

スティーヴン・タイラーは7歳の時にエルヴィス・プレスリーを見て衝撃を受けていた

そんなスティーヴン・タイラーさんは、1955年、7歳の時、テレビ初出演を果たしたエルヴィス・プレスリーが、「ハウンドドッグ」や「ハートブレイクホテル」を歌唱するのを見て、

(まだ子供だったことから、ロックンロールというものが何なのかは分からなかったそうですが)まるで放射能を浴びたクモにかまれたかのような衝撃を受けたそうで、エルヴィス・プレスリーを宇宙人かと思うほどだったそうです。

スティーヴン・タイラーが9歳の時に一家はヨンカーズに転居していた

その後、スティーヴン・タイラーさんが9歳の時、一家はブロンクスからニューヨーク市のすぐ北にあるヨンカーズという街に転居したそうですが、

新しい家は大きな庭付きの私邸で、当たり一面には森が広がっていたそうで、スティーヴン・タイラーさんは、10代の頃は、家の近くにあった貯水池で友達と釣りをして過ごしたそうです。

また、家の裏には、スカンク、うさぎ、鹿などの動物がいたことから、罠を仕掛けて動物を捕まえては、皮をはぎ、毛皮を売って、お小遣いを稼いだそうです。

スティーヴン・タイラーは9歳の時に毎週日曜日に教会で讃美歌を歌っていた

また、スティーヴン・タイラーさんは、その頃、毎週日曜日、教会に通い、讃美歌を歌っていたそうですが、歌の力によって、教会の祭壇の下に神様が宿ると信じ込んでいたといいます。

スティーヴン・タイラーは12歳の時にチャビー・チェッカーのライブを観てロックンロールに夢中になっていた

そして、1960年、12歳の夏、スティーヴン・タイラーさんは、当時、アメリカで大流行していたチャビー・チェッカーのライブを、家族と一緒にニュージャージーへ観に行ったそうですが、この時、本格的に、ロックンロールに夢中になったそうで、

(親の世代もライブに押し寄せるほどの人気ぶりだったそうです)

スティーヴン・タイラーさんは、この時のことを、自伝「スティーヴン・タイラー自伝」で、

その夜、彼の生演奏の他にもう一つ催しがあった。水着姿の女が馬に乗ったまま30フィートの飛び込み台から水槽にダイブする見世物だった。女と馬は完璧な跳躍で水槽に飛び込み、大きなしぶきが観客の服を濡らした。

チャビー・チェッカーのパフォーマンスと、水着の女と馬の命知らずのジャンプが俺の頭の中で一つに溶け合ったんだ!それが俺が初めて体験したロックンロールの世界だった。

俺は“Twist”の中にセックスを感じていたんだ。まだ女と寝たこともなかったんだけど、音楽の中にセックスが聴こえたんだ!最も原始的な本能…あの二つの光景は今でも忘れない!

と、語っています。

(アメリカでは、チャビー・チェッカーの「Twist」が大ヒットしており、当時、唯一、ビルボード誌のトップ100で、2回1位に輝いた曲だったそうです)

スティーヴン・タイラーは15歳の時にドラムに夢中になっていた

また、その後、スティーヴン・タイラーさんは、1963年、15歳の時には、友達のお兄さんのドラムセットを見て、たちまちドラムに一目惚れすると、翌日、さっそく、サンディ・ネルソンの教則レコードを買って、ドラムの練習を始めたそうで、

スティーヴン・タイラーさんは、自伝「スティーヴン・タイラー自伝」で、

(ドラムに出会った)あの瞬間、俺は人生という偉大なゲームで凄いカードを引いたんだ。俺のラッキーカード!モノポリーの“保釈カード”だ。まるで魔法だった。黒人にとってのファンク、エルヴィスにとってのソウル…そんな音楽への鍵を俺も手に入れたんだ!

と、熱く語っています。

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スティーヴン・タイラーは24歳の時に「エアロスミス」としてファーストアルバム「野獣生誕」でレコードデビュー

そんなスティーヴン・タイラーさんは、10代後半からバンド活動を始めると、1970年、22歳の時には、ジョー・ペリーさんやトム・ハミルトンさんらと共に「エアロスミス」を結成し、

1973年1月、24歳の時には、ファーストアルバム「野獣生誕」でレコードデビューを果たしたのでした。

「スティーヴン・タイラーの元妻は?離婚後私生活を暴露され訴えていた!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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