1972年、大学生の時、「返事はいらない」でデビューし、翌年の1973年には、アルバム「ひこうき雲」で人気を博すと、以降、「あの日にかえりたい」「守ってあげたい」「真夏の夜の夢」「春よ、来い」「輪舞曲」など、次々とヒットを連発し、人気実力ともに不動の地位を築いた、松任谷由実(まつとうや ゆみ)さんですが、

実は、夫の松任谷正隆さんがアレンジやプロデュースを担当し、二人三脚で歩んできたといいます。

今回は、そんな松任谷由実さんの、夫・松任谷正隆さんとの馴れ初め、結婚までの経緯、結婚後の関係(夫婦仲)、子供についてご紹介します。

松任谷由実と松任谷正隆

「松任谷由実の生い立ちは?幼少期は裕福!小学時代はオール5の優等生だった!」からの続き

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松任谷由実の夫・松任谷正隆との馴れ初めは?

松任谷由実さんは、1976年11月29日、22歳の時、松任谷正隆さん(25歳)と結婚しています。

松任谷由実さんと松任谷正隆さんは、1973年、松任谷由実さんが、多摩美術大学1年生の時、自身のファーストアルバム「ひこうき雲」のレコーディングに、大学3年生だった松任谷正隆さんが「キャラメル・ママ」の一員(キーボード)として参加したのがきっかけで知り合ったそうで、

キーボードはレコーディングに参加する時間が一番長かったうえ、松任谷由実さんは、相手に意見を求めるタイプだったことから、自然と松任谷正隆さんと会話することが多くなり、親密になっていったのだそうです。

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松任谷由実と松任谷正隆は”ダリア”をきっかけに交際をスタート?

実は、ファーストアルバム「ひこうき雲」のレコーディング中、松任谷由実さんは、ディレクターの有賀恒夫さんに、なかなかOKを出してもらえず、特に、最後にレコーディングした「雨の街を」は難航したそうで、レコーディングは1年もかかったそうですが、

(有賀恒夫さんには、ピッチの不正確さを指摘されたほか、ビブラートしないようにも言われたそうです)

そんな中、松任谷正隆さんと井の頭公園を散歩している時、好きな花を聞かれたことから、「ダリア」と答えると、翌日、スタジオには、松任谷正隆さんがピアノの上に牛乳瓶に挿した一輪のダリアを置いてくれていたそうで、

なぜか、その日、松任谷由実さんは「雨の街を」のレコーディングをうまく終えることができたのだそうです。

というのも、松任谷正隆さんは、かねてから、松任谷由実さんからビブラートを無くしてしまうと、歌が無機的になり、作品にも深みがなくなると反対していたそうですが、

一介のセッション・ミュージシャンにすぎない松任谷正隆さんの意見は聞き入れられなかったそうで、松任谷正隆さんは、有賀恒夫さんに対し、ピッチも大切だけれど、ここはエモーションを優先するべきだという意思表示で、ダリアをピアノの上に飾っていたのだそうです。

松任谷由実が松任谷正隆からプロポーズされた言葉とは?

そんな松任谷由実さんと松任谷正隆さんは、やがて交際をスタートし、松任谷由実さんのセカンドアルバム「MISSLIM」(1974年発売)からは、松任谷正隆さんが本格的に楽曲のアレンジを手掛けるようになったそうで、

1976年春(松任谷由実さんが多摩美術大学を卒業する頃)、レコーディングが終わり、松任谷正隆さんに車で家まで送ってもらっていると、

今年結婚しないと長い春になっちゃうね

と、プロポーズされたそうで、結婚に至ったのだそうです。

ちなみに、松任谷由実さんと松任谷正隆さんは横浜山手教会で挙式し、新婚旅行は松任谷由実さんが経営する熱海の旅館だったそうですが、この時、吉田拓郎さんやかまやつひろしさんほか、ミュージシャン仲間が押しかけてきて、朝までどんちゃん騒ぎとなったそうです(笑)

松任谷由実は夫・松任谷正隆プロデュースによるアルバムがことごとく大ヒットしていた

その後、松任谷由実さんは、1978年には、松任谷正隆さんのプロデュースにより、(荒井由実ではなく)「松任谷由実」名義で初めてのアルバム「紅雀」をリリースしているのですが、

(松任谷正隆さんは、この時、松任谷由実さんのアルバムを年2回作ると決めたそうです)

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以降、1980年代から1990年代初めにかけて、アルバムはことごとく大ヒットを記録し、

1990年の「天国のドア」は日本人アーティストのアルバムでは、初の200万枚の出荷を記録し、松任谷由実さんの人気は絶頂期を迎えたのでした。

松任谷由実と夫・松任谷正隆の結婚後の関係は”戦友”だった

そして、その後、人気に陰りが見え始め、絶頂期から転落していく中でも、松任谷由実さんと松任谷正隆さんは、これから先、どう進んでいくべきかを毎日のように話し合っていたそうで、この頃には、”戦友”という感覚がお互いの中で芽生え始めていったのだそうです。

ただ、その一方で、夫婦としての危機は何度もあったそうで、

松任谷由実さんは、2015年、「週刊アエラ」のインタビューで、

夫婦の危機、何度もありました。特定の原因があるわけではなく、お互いのバイオリズムの重なりで生じるようなものですね。7年ほど前にも、もうダメかもしれないという時が訪れて、その時は私が何とか踏みとどまろうとしました。

実際に別れるとなった時に話し合わなければいけない、会社や権利関係の決めごとを全部テーブルにのせてみたんです。そしたら、彼も途方もなく面倒に感じたみたいで無期延期になりました。

と、語っています。

松任谷由実は夫・松任谷正隆に絶対の信頼を置いていた

とはいえ、松任谷由実さんは、松任谷正隆さんに絶対の信頼を置いており、音楽生活が40年を超え、還暦を過ぎた頃には、

彼は人前で容赦なく私を叱ります。年齢的にも、立場的にも、伸びしろが少なくなってきた私にとっては、とてもありがたい

私が感じる彼のやさしさは“厳しさ”で、心から感謝しています

と、語っています。

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松任谷由実には子供はいない

ちなみに、そんな松任谷由実さんと松任谷正隆さんの間に子供はいません。

松任谷由実さんは結婚する際、唯一の条件が、「子供を作らないこと」だったそうで、松任谷由実さんは、

女性アーティストって子供生んじゃうと、子供が最高傑作になってしまうのよね。

と、語っており、

松任谷由実さんにとっては、松任谷正隆さんとの作品が子供のような存在なのかもしれません。

「松任谷由実のアルバム記録が凄い!9枚連続でミリオンセラー!17枚連続でオリコン1位!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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