ロック、ブルース、ジャズ、フュージョン、J-POP、と様々なジャンルの曲を弾きこなし、セッションワークで多くのミュージシャンから絶大な信頼を得ていた、大村憲司(おおむら けんじ)さんですが、1998年、49歳という若さで他界されています。

今回は、大村憲司さんの、死因や死に至る経緯について、大村憲司さんの息子・真司さんの証言を交えてご紹介します。

大村憲司

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大村憲司の死因は?

大村憲司さんは、1998年11月18日、アルコール性肝疾患による肝硬変で他界されているのですが、

大村憲司さんは、この年の11月3日には、神戸チキンジョージで、ギタリストの、徳武弘文さん、Char(チャー)さんとライブをしていたことから、突然の死は、関係者に大きな衝撃を与えました。

実は、大村憲司さんは、ファンの間でも、お酒が好きなことで有名だったそうですが、それだけではなく、大きなストレスも抱えていたようで、

大村憲司さんの息子の真司さんは、大貫妙子さんとの対談で、

精神がもう。たぶん音楽のことを考えて、家族のこともいろいろ考えただろうし、自分の仲間のこともいっぱい考えて。なんかそういうのでもう、飲まずにはいられなくなっちゃって、気づいたら、肝臓が悪くなってた。

と、語っています。

(ライブの時など、よく、お酒を飲みながら弾いていたそうです)

大村憲司は息子の説得で病院に行くも既に手遅れだった

ちなみに、真司さんが大村憲司さんに病院に行くように説得すると、

大村憲司さんは、

わかった病院行くよ

と、言ったそうで、

真司さんが大村憲司さんを肩組みし、大村憲司さんの奥さんが運転する車で病院まで連れて行ったそうですが、残念ながら、手遅れだったといいます。

大村憲司は体調が悪化しながらも素晴らしいライブパフォーマンスを披露していた

また、この年(1998年)の9月、大村憲司さんは、能登半島門前町の総持寺で開催されたライブに出演しているのですが、

共演したSASAさんによると、大村憲司さんは、この時、アンコールのステージに立てないほど体調が悪化していたそうで、

それでも、一度受けた仕事であり、自身の希望で企画し実現した「北欧シリーズ」というライブだったことから、ステージの上では、体調を崩しているとは思えないほどの、素晴らしいライブパフォーマンスを披露していたといいます。

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大村憲司はしし座流星群の極大時に死去していた

ちなみに、大村憲司さんが他界された夜は、ちょうど、しし座流星群が極大していたそうですが、

その夜流れた流星の中で最大の「火球」が観測された時間に、大村憲司さんは息を引き取ったそうで、

大村憲司さんと親交があったギタリストの、高中正義さんは「獅子座流星群」(アルバム「WALKIN’」に収録)を、Char(チャー)さんは「The night of Leonid」を作曲し、大村憲司さんに捧げたそうです。

予定に続く

お読みいただきありがとうございました

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