編曲家、セッションギタリストとして、YMO、山下久美子さん、沢田研二さん、工藤静香さん、大江千里さんなど、数多くのミュージシャンの楽曲制作に携わると、
テクニックではなく、歌うようなプレイスタイルで日本のロック・ポップス界に大きな影響を与えた、大村憲司(おおむら けんじ)さん。
そんな大村憲司さんは、少年時代、ウェス・モンゴメリーやベンチャーズの音楽を聴いて衝撃を受け、中学2年生頃からギターを始めると、まもなく頭角を現し、19歳の時には、「ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」で優勝、21歳の時には、フィルモア・ウェストのステージでギター演奏をしたといいます。
今回は、大村憲司さんの中学時代(生い立ち)からソロデビュー前までをご紹介します。
大村憲司のプロフィール
大村憲司さんは、1949年5月5日生まれ、
兵庫県神戸市の出身、
学歴は、
甲南高等学校・中学校
⇒上智大学国際学部卒業?
ちなみに、「大村憲司」は本名です。
大村憲司は中学・高校時代はバンドとラグビーを両立させていた
大村憲司さんは、ウェス・モンゴメリーやベンチャーズの音楽を聴いて衝撃を受け、中学2年生頃からギターを始めると、甲南中学の「ベルベッツ」というバンドの練習に熱心に取り組んでいたそうですが、
一方で、中学2年生から高校3年生までラグビー部に所属し、高校3年生の時には、ラグビー部のキャプテンを務めていたそうで、バンドとラグビーを両立する、とてもハードな生活を送っていたそうです。
(ラグビーでのポジションはフォワードの3列目、フランカーというポジションだったそうです)
高校3年生の時、ラグビー部のキャプテンだった大村憲司さん。
大村憲司は19歳の時に「ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」のロック部門で優勝していた
そんな大村憲司さんは、ベンチャーズ、ビートルズ、ウェス・モンゴメリーなどのコピーをしながら、ギターの腕を磨き、山村隆男さん(ベース)、マーティン・ウィルウェーバーさん(ドラム)と共に、「カウンツ・ジャズ・ロック・バンド」を結成し、
高校卒業後の1969年、19歳の時、「ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」に出場すると、見事、ロック部門で優勝に輝いたのだそうです。
大村憲司は21歳の時にフィルモア・ウェストのステージでギター演奏をしていた
そんな大村憲司さんは、翌年の1970年には、サンフランシスコの大学に1年留学し、心理学を学んだそうですが、その一方で、現地のミュージシャンの生演奏に触れ、自身も、大学に通いながら、バンドを組み、音楽活動に明け暮れたそうで、
デレク&ドミノスの「いとしのレイラ」を徹底的にコピーし、フィルモア・ウェスト(ライブハウス)のアマチュア・バンドのコンテスト「アマチュア・ナイト」のオーディションを受けると、見事、合格したそうで、フィルモア・ウェストのステージでギターを演奏したのだそうです。
(大村憲司さんは、日本人で初めて、かつ、唯一、フィルモア・ウェストのステージに立ったギタリストなのだそうです)
大村憲司が22歳の時にはフォークグループ「赤い鳥」のサポートギタリスト
帰国後の1971年、大村憲司さんは、上智大学の国際科に編入したそうですが、
マーティン・ウィルウェーバーさんからの紹介で、フォークグループ「赤い鳥」のアルバム「スタジオ・ライブ」のレコーディングに、サポート・ギタリストとして参加すると、
1972年には、「赤い鳥」の正式メンバーとなり、アルバム「パーティー」をリリースしています。
ちなみに、大村憲司さんは、ギター演奏だけでなく、「特急列車~サザン・スペシャル」「パーティーへおいでよ」の2曲を提供するほか、「パーティーへおいでよ」では、ボーカルも務めています。
そして、同年(1972年)秋には、アルバム「美しい星」で、「みちくさ」という曲を提供し、
1973年、アルバム「祈り」では、12曲中8曲を担当して、ポップと様々なロックの要素をミックスさせるなど、大村憲司さんのカラーが色濃く出た作品となっています。
大村憲司が25歳~26歳の時には「エントランス」「バンブー」「カミーノ」などのセッションバンドを結成していた
また、1973年には、「赤い鳥」を脱退すると、脱退後は、山村隆男さん、村上”ポンタ”秀一さん(ドラム)と「カウンツ・ジャズ・ロック・バンドⅡ」を結成し、その後、高水健司さん(ベース)が参加して「エントランス」を結成。
その後も、
- 1974年には、再び渡米し、3ヶ月ほどロサンゼルスに滞在すると、帰国後、知り合った小原礼さんとセッション・バンド「バンブー」を結成
- 1975年には、「バンブー」が消滅し、「カミーノ」を結成
と、主にセッションバンドで活動したのでした。
「【画像】大村憲司の若い頃はYMOも!死去までのアルバムや代表曲は?」に続く
1978年、ソロアルバム「ファーストステップ」でレコードデビューすると、その後は、ソロ活動のかたわら、様々なミュージシャンの作品にサポートギタリストとして参加するほか、作曲、編曲家(アレンジャー)としても携わり、 ロック …