1972年頃、日本に入ってきたばかりのシンセサイザーをいち早く習得して、シンセサイザーの第一人者として活躍すると、フュージョンの草分け的存在としても活躍した、深町純(ふかまち じゅん)さん。
そんな深町純さんは、2010年、64歳で急死されているのですが、現役活動中のあまりにも突然過ぎる死は、関係者や親交のあった人々に大きなショックを与えました。
今回は、深町純さんと最後の会話をした奥さんの証言を交えて、他界された時の状況や死因についてご紹介します。
「深町純の若い頃から死去までのアルバムほか経歴は?」からの続き
深町純の死因は?
深町純さんの死因は、大動脈解離による心嚢血腫(心臓の動脈が、層構造が剥がれて心臓を包む袋の中で出血している状態)だったそうですが、
(あまりにも突然だったことから、関係者に大きなショックを与えたそうです)
深町純さんの奥さんによると、最期の日の朝、奥さんが仕事に出かける際、何かの話の流れの中で、
深町純さんは、
音楽家で生涯生き切るなんて恵まれた生き方だね
この音楽界の中で仕事をするには恵まれているとは思わないけど、でも、もちろん僕は僕の音楽に誇りを持っているし、仕合せな人生を生きているよ、それは良い人生だと思う
と、言って、
最後に、
僕は音楽家だ
と、言い、
身体を起こして、爪を切り始め、その後、ピアノに向かったそうですが、
それが、深町純さんとの最後の会話だったそうで、奥さんが家に帰ってくると、深町純さんは、ピアノ下に真っ直ぐに倒れていたといいます。
ちなみに、予兆はあったようで、深町純さんの妹・エリさんによると、他界される1週間ほど前、深町純さんは、視界が真っ暗になると言っていたそうですが、もともと、病院嫌いだったことから、医療機関などで診察は受けていなかったのだそうです。
また、深町純さんは、常々、奥さんに、
死は旅立ちだから怖いことではない。ミュージシャンは50年以上生きるものではない
と、言っていたといいます。
深町純の葬儀は?
また、深町純さんの葬儀は、日本基督(キリスト)教団の目白教会で執り行われたそうですが、
深町純さんは、幼い頃、この教会の近くに住み、教会付属の幼稚園に通うなど、縁(ゆかり)のある教会だったといいます。
深町純の妻は?
そんな深町純さんは、他界される2年半前の2008年に、音楽の先生で、「おのふみこ音楽教室」を主宰する、布美子さんという女性と結婚していたそうで、
2008年4月にイタリアで挙式し、5月12日に結婚披露パーティーが品川プリンスホテルのステラ・ボールで行われたそうですが、
実は、それまで、深町純さんは、
結婚などはしない
と、言い張っていたそうで、
結婚披露パーティーの席では、
こんなに僕と結婚したいと強く言ってくれたのは布美子さんしかいない
と、結婚を決めた理由について明かしていたといいます。
(深町純さんは、この結婚披露パーティーを、「結婚などはしない」という言葉を反故にした説明会と兼ねていたそうです)
深町純は結婚した後、音楽の評判が上がっていた
また、深町純さんと布美子さんの結婚生活は2年半と短いものでしたが、深町純さんにとって、布美子さんの存在は、公私ともにとても良い影響を与えていたようで、
音楽仲間の間では、布美子さんとの結婚がきっかけで、深町純さんの音楽がこれまでより良くなったと評判だったそうで、さらなる活躍が期待されていた中での突然の死去だったといいます。
(そのうちの一つが、佐藤正治さん、KONTAさんと結成した、バンド「僕らのしぜんの冒険」での活動だったそうです)
深町純の子供は?
そんな深町純さんと布美子さんの間には、子供はいないようです。
深町純さんが布美子さんと結婚したのは、62歳の時で、布美子さんの年齢は不明ですが、年齢がネックで子供が持てなかったのかもしれません。
とはいえ、エピソードからは、子供はいなくても、二人で穏やかで楽しい時を一緒に過ごしていたことが分かります。
1971年、25歳の時から、スタジオ・キーボード奏者として活動を始めると、クラシック、ロック、ニューミュージックなど様々なジャンルの音楽を取り入れた楽曲を制作し、 日本人初のピアノ弾き語りシンガーソングライターとして活動 …