スポーツをテーマにした漫画の原作者として、数々の名作を世に送り出し、死後数十年経つ現在も、日本の漫画文化に多大な影響を与え続けている、梶原一騎(かじわら いっき)さん。
そんな梶原一騎さんは、最初の妻の高森篤子さんと離婚した後、台湾の歌手・白冰冰さんと再婚するも、その後、白冰冰さんと離婚すると、再び、高森篤子さんと結婚していたといいます。
今回は、梶原一騎さんの最初の妻・高森篤子さんとの、特殊な夫婦関係、離婚、再婚に至った経緯などについてご紹介します。

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梶原一騎の最初の妻は?
梶原一騎さんは、1963年頃、18歳だった高森篤子さんと結婚しているのですが、
梶原一騎さんは、プライベートについてほとんど明かしていないため、どのように知り合い、いつ頃から交際して、どのような経緯で結婚に至ったかは不明です。

梶原一騎さんの妻・高森篤子さん。
ただ、高森篤子さんは、後に、エッセイ「スタートは四畳半、卓袱(ちゃぶ)台一つ」で、梶原一騎さんの人生や作品ほか、梶原一騎さんとの出会い、結婚生活について言及しているそうで、
結婚する前から梶原一騎さんの作品に関わっていたこと、結婚した時は、梶原一騎さんがまだヒットしていなかったこと、そんな収入がない中、草をおかずにしていたことなどが綴られているといいます。
梶原一騎の最初の妻・高森篤子との離婚理由は?
そんな梶原一騎さんと妻の高森篤子さんですが、その後、梶原一騎さんが漫画原作者として脚光を浴びるようになった後も、結婚生活は、決して穏やかなものではなかったそうで、
日常的に、梶原一騎さんが高森篤子さんに暴力を振るっていたほか、梶原一騎さんの気性の荒さが原因で、1973年に離婚したといいます。
(梶原一騎さんのDV(家庭内暴力)以外にも、高森篤子さんが、子供4人を抱えながらの生活が厳しかったことも離婚の一因だとされています)
梶原一騎は白冰冰と再婚するも2年足らずで離婚していた
その後、梶原一騎さんは、1979年、歌と演技を学ぶために来日していた台湾の歌手・白冰冰(バイビンビン)さんと再婚したそうですが・・・
またしても、梶原一騎さんのDV(家庭内暴力)が原因で、白冰冰さんとも1981年に離婚したそうです。

梶原一騎さんの2番目の妻・白冰冰さん。
梶原一騎は最初の妻・高森篤子と再婚していた
そんな梶原一騎さんは、壊死性劇症膵臓炎を患って長期入院中の1985年、最初の妻・高森篤子さんと再婚していたといいます。
実は、梶原一騎さんは、高森篤子さんと離婚後は、芸能人と遊び狂っていたそうですが、高森篤子さんに未練が残っていて、いくら遊んでも満足感を得られなかったのだそうです。
(梶原一騎さんは、ひたすら芸能人と関係を結んでいたそうですが、高森篤子さんに嫉妬してほしくて、たまに高森篤子さんと会った際には、なんと、その成果を報告していたといいます)
また、高森篤子さんも、離婚後しばらくは、自由な生活を楽しんでいたそうですが、他の男性と比べて、梶原一騎さんの偉大さを思い知り、
私が被害者だと思っていたけど、そうじゃない。私が主人好みの女になれなかったのも悪いんだ
と、反省していたそうで、
梶原一騎さんが、壊死性劇症膵臓炎を患い、入院していたところに、高森篤子さんが帰って来て、再婚となったのだそうです。
ちなみに、再婚後、梶原一騎さんは、家族で共に過ごす時間を大切にし、家族としての絆を深める努力をしたそうで、
高森篤子さんも、壊死性劇症膵臓炎を患う梶原一騎さんを献身的に看病し、容態が一時的に持ち直したそうですが、梶原一騎さんは、1987年1月21日、50歳という若さで他界されたのでした。
(高森篤子さんは、2015年に、脳卒中のため、70歳で他界されています)
「梶原一騎の子供は息子3人娘3人!子育ては独自ルール!優しい父親だった?」に続く
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高森篤子さんと離婚後、台湾の歌手・白冰冰さんと結婚するも、ほどなくして離婚すると、再び、高森篤子さんと結婚していたという、梶原一騎(かじわら いっき)さんですが、 高森篤子さんとの間に5人、白冰冰さんとの間に1人、計6人 …








