高森篤子さんと離婚後、台湾の歌手・白冰冰さんと結婚するも、ほどなくして離婚すると、再び、高森篤子さんと結婚していたという、梶原一騎(かじわら いっき)さんですが、

高森篤子さんとの間に5人、白冰冰さんとの間に1人、計6人の子供が誕生していたといいます。

今回は、梶原一騎さんと高森篤子さんの間に誕生した5人の子供たち(息子3人、娘2人)をご紹介するとともに、長男の高森城さんと長女の花実さんから見た、家庭内での梶原一騎さんについてご紹介します。

梶原一騎

「梶原一騎の最初の妻と再婚相手との離婚理由は?3番目の妻は最初の妻!」からの続き

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梶原一騎は妻・高森篤子との間に子供は5人(息子3人、娘2人)

梶原一騎さんは、高森篤子さんとの間に、息子3人と娘2人が誕生しており、長女は花実さん、次女は美希さん、長男は城さん、次男は一誓さん、三男は誠樹さんというそうですが、職業などは不明です。

梶原一騎の長男
梶原一騎さんの長男・高森城さん。

また、梶原一騎さんと高森篤子さんが1973年に離婚した際には、長女の花実さんと次男の一誓さんは梶原一騎さんと、次女の美希さんと長男の城さんは高森篤子さんと暮らすようになったそうですが、

梶原一騎さんと高森篤子さんが復縁すると、再び、きょうだい一緒に東京・大泉の自宅で暮らすようになったそうです。

(三男の誠樹さんは、復縁後に誕生したそうですが、2019年に他界されたそうです)

梶原一騎の子育てには独自のルールがあった

そんな中、長男の高森城さんによると、弟の一誓さんは、お父さんとお母さんが離婚中、お父さんの梶原一騎さんと暮らしていたことから、高森篤子さんのことを「お母さん」とは呼びにくく、照れ隠しもあって、下の名前で「あっちゃん」と呼んだことがあったそうですが、

梶原一騎さんは、一瞬で血相を変え、

俺の女房に何て呼び方しているんだ!

と、怒鳴ったといいます。

また、梶原一騎さんの子育てには、世間一般的に正しいかではなく、梶原一騎さんの中で決められた、

  • 家の玄関を使えるのは梶原一騎さんと妻の高森篤子さんだけで、子供たちは勝手口を使う
  • 梶原一騎さんが帰宅した際には子供たちは必ず玄関に迎えに行く

などの厳格なルールがあったのだそうです。

梶原一騎は子供たちには厳しくも優しい父親だった

そんな梶原一騎さんは、人気絶頂期、度重なる暴力事件などのスキャンダルにより、表舞台から姿を消しており、世間ではダークな印象でしたが、

子供たちの前では、決して、怖いだけのお父さんではなかったそうで、

高森城さんが高校生の時、夏で、まだ太陽も高く、遊びたい盛りだったこともあり、つい、帰宅が門限の5時30分を過ぎてしまったことがあったそうですが、

家に帰ると、家の鍵、雨戸まで全部閉められていたものの、高森城さんが慌てていると、家の中で、お父さんの気配がして、

こんな遅くに帰ってくる子は、うちの子じゃありません~

と、うれしそうな声が聞こえてきたそうで、

厳格な一方で、優しい父親の一面も普通にあったそうで、子供たちを叱る時は、教育として、手を上げることもあったそうですが、それは、決して、本気で殴るなどの暴力ではなく、家庭では、厳しくも優しいお父さんだったそうです。

梶原一騎は息子と一緒に流行歌を口ずさんでいた

また、高森城さんによると、高森城さんが3歳の時に両親が離婚し、母親に引き取られたことから、小中学校時代にお父さんの梶原一騎さんに会うのは年に4回くらいだったそうですが、

リビングで一緒に過ごしていると、梶原一騎さんに、

そこに並んで、1人ずつ順番に歌え

と、命じられ、

弟の一誓さんが近藤真彦さんの歌などを歌うと、梶原一騎さんも流行歌を口ずさんでいたといいます。

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梶原一騎は子供たちに自分のことを「パパ」と呼ばせていた

そんな梶原一騎さんは、長女の花実さんによると、子供たちに、自分のことを「パパ」と呼ばせたり、子供たちの学校のPTA役員をやりたがっていたそうで、

子供たち4人が子供の頃は、漫画原作者として売れっ子で多忙だったこともあり、実現しなかったそうですが、復縁後に末っ子の誠樹さんが誕生すると、

この子が学校に行くようになったら、そこのPTAやりたいなぁ〜

と、言っていたといいます。

予定に続く

梶原一騎と子供たち

お読みいただきありがとうございました

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