「スモーキー・メディスン」解散後は、「金子マリ&バックスバニー」を結成すると、1976年5月にはレコードデビューを果たし、ソウルフルなボーカルとファンキーなサウンドで独特の存在感を放ち、「下北のジャニス」と呼ばれた、金子マリ(かねこ まり)さんですが、
なんと、1993年からは、実家の葬儀店を継ぎ、音楽活動との2足のわらじを続けているといいます。
今回は、そんな金子マリさんの若い頃(「金子マリ&バックスバニー」以降)から現在までのアルバムほか経歴を時系列でご紹介します。

「金子マリの生い立ちは?幼少期は?Charとは高校の時に出会っていた!」からの続き
金子マリは19歳の時に「金子マリ&バックスバニー」を結成
金子マリさんは、1974年夏、19歳の時に、char(チャー)さんらと共に活動していたバンド「スモーキー・メディスン」が解散となると、
その後(同年)、同じ「スモーキー・メディスン」のメンバーだった鳴瀬喜博さん(ベース)と共に、難波弘之さん(キーボード)、永井充男さん(ギター)、橋本英晴さん(ドラム)と、バンド「金子マリ&バックスバニー」を結成し、精力的にライブ活動を展開しています。
金子マリは21歳の時に「金子マリ&バックスバニー」として1stアルバム「MARI&BUX BUNNY」をリリース
そして、1976年1月1日には、シングル「あるとき」でレコードデビューを果たすと、

「あるとき」
1976年5月21日は、ファーストアルバム「MARI&BUX BUNNY」をリリースし、
桑名正博さん、上田正樹さん、「RCサクセション」など、同世代のミュージシャンがロックの新風を巻き起こす中、
ファンキーなリズムセクションにメロディアスなギターとプログレッシブなキーボードを融合させた高い演奏力に裏打ちされたサウンド、金子マリさんのソウルフルなボーカルで、ロック・シーンの中でも独特の存在感を放ち、音楽業界の注目を集めるようになっています。
ちなみに、当時、金子マリさんは、1976年6月9日付けの東スポの取材に対し、
たばこをくゆらせながら、
今では下北のジャニスと呼ばれることに抵抗があります。ロックやフォークというジャンル分けは無意味。あくまでもシンガー・金子マリでありたい
下着はつけてないんです。えっ、パンツははいてますよ。なまけものなんですよ、要するに
ステージがすべて。いつか満足できるステージをやりたい。それが歌を歌うことの要になっている
などと語っており、
21歳とは思えないほど、堂々としていたといいます。
金子マリが24歳の時に「金子マリ&バックスバニー」は活動停止
そんな「金子マリ&バックスバニー」は、その後も、
- 1977年「ライブ We Got To…」※ライブ盤
- 1978年「Shoot the moon」
- 1979年「The Super-natural」
と、スタジオアルバム3枚、ライブアルバム1枚をリリースしているのですが、
「ライブ We Got To…」リリース直後、橋本英晴さんが脱退。
その後、その後任のドラマーとしてジョニー吉長さんが参加し、翌1978年6月には、3枚目のアルバム「Shoot The Moon」をリリースするも、今度は、難波弘之さんが脱退。
その後、その後任として川崎雅文さんが加入し、「The Super-natural」の制作を開始するも、1979年秋には、ジョニー吉長さんも脱退したそうで、
1979年、「金子マリ&バックスバニー」は活動停止となっています。
金子マリは28歳の時に初のソロアルバム「MARI FIRST」をリリース
「金子マリ&バックスバニー」解散後、金子マリさんは、「ジョニー・ルイス&チャー」や「RCサクセション」のライブなどにゲスト出演するほか、
1980年頃には、バンド「Voice&Rhythm」を結成したり、1983年9月には、初のソロアルバム「MARI FIRST」をリリースするなど、音楽活動を続けていたのですが、
1979年にジョニー吉長さんと結婚し、1981年には長男(金子ノブアキさん)が誕生すると、下北沢の実家で育児中心の生活を送るようになり、ライブの回数は減少。
ただ、歌の練習は、毎日数時間、続けていたといいます。
金子マリは39歳の時に実家の葬儀店を継ぎ音楽活動と2足のわらじで活動していた
そして、1992年には、ケニー井上さんらとバンド「MAMA」を結成してアルバムをリリースするほか、ソロアルバムもリリースしていたのですが、
1993年、39歳の時、祖父の代から続いていたという葬儀店「金子総本店」を経営していたお父さんが他界したことで、状況が一変。
金子マリさんが店を継ぐことになったそうで、それからというもの、社長として葬儀に立ち会った後、歌のリハーサル、その後、再び仕事服に着替えてお通夜、その後、ライブの本番・・・という生活になったそうで、
金子マリさんは、歌手活動に専念できないことに、
自分だけどうして
と、焦りを感じ始めたそうです。
金子マリの現在は?
そんな中でも、金子マリさんは、イベント時には、「金子マリ&バックスバニー」や「スモーキー・メディスン」を再結成したり、2005年には、バンド「5th Element will」を結成するなど、葬儀店「金子総本店」と音楽活動の2足のわらじを続け、
2017年には、「金子マリ&バックスバニー」の全アルバムを集めたCD4枚組ボックス・セットをリリースし、(ドラマーの橋本英晴さん以外の)オリジナル・メンバーが久々に集結してライブも開催すると、
会場には、往年のファンのみならず、「伝説のバンド」を一目見ようと、大勢のお客さんが詰めかけ、大いに盛り上がりました。
(金子マリさんの長男で俳優兼ドラマーの金子ノブアキさんと、次男でベーシストの金子賢輔(KenKen)さんもゲスト出演しています)
ちなみに、金子マリさんは、20年に渡り、葬儀店と音楽活動の両立をしてきたことを、2013年のインタビューで、
遺族の思いを読み取る葬祭業は、聴衆と無言で対話するライブと、どこか似ている。店を継いだからこそ、音楽も続けてこられた
(古くからのバンド仲間には、リハビリから復帰したり、重い病気のメンバーもいることから)そうなって初めて、仲間と演奏する幸せを知り、私たちは本物のバンドになった、と思える。60歳になる頃には、もっともっと音楽を楽しめるんじゃないかな
と、語っており、
音楽活動に専念できない葛藤の日々の中で、いつしか音楽への向き合い方が変わっていったことに気がついたといいます。

金子マリのソロアルバム
それでは、最後に、金子マリさんのソロアルバムをご紹介しましょう。
- 1983年「MARI FIRST」
- 1993年「JUST LOVE」
- 1995年「River of Life」
- 2006年「B-ethics」
- 2008年「金子な理由」
- 2008年「MARI SINGS ALONG WITH SHIBUYA SAN」
- 2014年「Mari Kaneko Presents 5th Element Will Featuring Kyoichi Kita」
を、リリースしています。
「金子マリの前夫・ジョニー吉長との馴れ初めは?離婚理由は?最期は看病し葬儀も!」に続く
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1979年に「金子マリ&バックスバニー」の活動を休止した後は、ソロアルバムをリリースするほか、他のバンドやコーラスにゲスト出演するなど、様々なアーティストと共演を重ねている、金子マリ(かねこ まり)さん。 そんな金子マリ …













