戦隊ドラマ「秘密戦隊ゴレンジャー」でアカレンジャー役を務めるほか、映画「仁義なき戦い」シリーズや「少林寺拳法」など、東映の劇場映画を中心に活動すると、テレビドラマ「特捜最前線」でも吉野刑事役に抜擢されて、お茶の間でも人気を博した、誠直也(まこと なおや)さん。
そんな誠直也さんは、少年時代、お兄さんの影響でラグビーに興味を持ち、スポーツの名門・福岡電波高等学校に進学すると、1年生にして、キャプテンとしてチームを牽引し全国制覇を成し遂げたそうですが、
決勝戦では、右膝靱帯断裂と半月板損傷という大ケガを負ってしまい、その影響で大学時代にはラグビーを断念したといいます。
今回は、誠直也さんの少年時代(生い立ち)から大学卒業後俳優に転向するまでをご紹介します。

誠直也のプロフィール
誠直也さんは、1949年6月25日生まれ、
佐賀県佐賀市の出身、
身長173センチ、
血液型はO型、
学歴は、
福岡電波高等学校
⇒法政大学文学部哲学科卒業
趣味は、
ダイビング、旅行、ゴルフ、釣り、
特技は、
ラグビー、柔道、剣道、
ちなみに、本名は「古川誠剛」(ふるかわ せいごう)で、芸名の「誠」は本名から一文字取ったそうです。
また、誠直也さんの実家は金比羅神社だそうで、現在は、兄の古川勝久さんが神主を務めているそうです。
誠直也は少年時代からラグビーにハマり、スポーツの名門・福岡電波高校に進学していた
誠直也さんは、2人兄弟の次男として誕生すると、少年時代は、お兄さんの影響で、
どこに転ぶか分からない
楕円球(ラグビー)の魅力に取り憑かれたそうで、
中学卒業後は、スポーツの名門・福岡電波高校(現・福岡工大城東高校)へと進学し、ポジションは攻守の要であるCTB(センター)を務めたそうです。
誠直也は高校時代、1年生にしてラグビー部のキャプテンになっていた
すると、誠直也さんは、高校1年生の時には、すでに、石橋監督や緒方部長から、
頼むぞ
と、リーダーを嘱望(しょくぼう)される存在となったそうで、
誠直也さんもまた、
上の学年が優勝できるチームだったんだけど、負けてしまって。石橋監督、緒方部長が(人間として)かっこよかったからさ。ほんとに優勝させたかった
と、強い男気で、キャプテンとしてチームを牽引し、悲願の全国大会へと突き進んだそうです。
誠直也は高校1年生の時にラグビーの全国大会でチームを優勝に導くも右膝靱帯断絶と半月板損傷の大ケガを負っていた
そして、1968年1月9日には、見事、ラグビーの全国高校大会決勝(対 目黒高校戦)まで進んだそうで、
(優勝すれば、福岡県勢としては14大会ぶりだったそうです)
6-5とリードして迎えた後半12分には、「近鉄」と呼んでいた、スクラムからFB(フルバック)がラインに参加するサインプレーが見事に決まってトライを奪い、相手を突き放したそうですが・・・
この試合中、ライン際のボールを蹴り出そうとした誠直也さんは、相手選手に膝に乗られてしまったのだそうです。
とはいえ、当時はまだメンバー交代が認められないルールだったことから、誠直也さんは「人数を少なくするわけにはいかない」と、
ベニヤ板のようなものを当てて膝が曲がらないように固定し、激痛に耐えながら最後までグラウンドに立ち続けたそうで、結果、その執念が実を結び、チームは見事に全国優勝を果たしたそうですが、
試合後、医療機関を受診すると、右膝靱帯(じんたい)断裂、後には、半月板まで割れていることが判明したのだそうです。
誠直也は大学時代にドクターストップがかかりラグビーを断念していた
それでも、誠直也さんは、高校卒業後も、ラグビーを続けるため法政大学に進学したそうですが、高校決勝での無理が祟り、医師からドクターストップがかかってしまったそうで、
ラグビーを奪われた誠直也さんは、
あの時けがをしていなかったら、4年間ラグビーに没頭するはずだった
と、一種の燃え尽き症候群に陥ってしまったそうで、
その後は、やり場のない思いを抱え、酒を飲む日々が続いたのだそうです。
誠直也は大学卒業後は紹介で俳優の道に進んでいた
そんな誠直也さんは、大学卒業後は、不動産会社への就職が決まったものの、
このまま普通のサラリーマンになるのか・・・
と、将来に対してどこか割り切れない思いを抱いていたそうですが、
そんな中、当時通っていた新宿辺りのスナックで、熊本出身のマスターが俳優の仕事を紹介してくれたそうで、就職せずに、俳優の道に進むことにしたのだそうです。
「【画像】誠直也の若い頃から現在までの出演ドラマ映画ほか経歴は?」に続く
1971年、23歳の時、「現代やくざ 血桜三兄弟」で映画デビューし、その後、「仁義なき戦い」シリーズなどのヤクザ映画に脇役で出演すると、 1976年、28歳の時には、特撮ドラマ「秘密戦隊ゴレンジャー」で主人公の海城剛/ア …







