1969年、20歳の時、「あゝ陸軍隼戦闘隊」で映画デビューすると、1970年には、「ガメラ対大魔獣ジャイガー」で主演を務め、
その後、一時期、低迷するも、デビューから5年目の1974年、25歳の時、「仮面ライダーX」の主人公・神敬介/仮面ライダーXに抜擢されると、たちまちブレイクした、速水亮(はやみ りょう)さん。
そんな速水亮さんは、高校時代は、柔道部で公式戦無敗を誇る腕前だったことから、大学に進学して日本武道館の舞台に立つことを夢見ていたそうですが、
素行が問題視され高校を退学となると、その後は、バーテンダーやウエイターをする中、友人の一言で俳優を目指すようになったといいます。
今回は、そんな速水亮さんの、幼少期(生い立ち)から大映ニューフェイスに合格するまでをご紹介します。

速水亮のプロフィール
速水亮さんは、1949年11月14日生まれ、
神奈川県横浜市の出身、
(千葉県君津市生まれ)
身長174センチ、
血液型はA型、
学歴は、
木更津中央高等学校(現・木更津総合高等学校)中退
趣味は、
ゴルフ、野球、
特技は、
柔道(二段)、
だそうです。
速水亮の本名は?芸名の由来&変遷は?
ちなみに、速水亮さんの本名は「越坂部茂(こさかべ しげる)」なのですが、現在の芸名「速水亮」に定着するまでは、「炎三四郎(ほのお さんしろう)」⇒「豊田正文(とよだ まさふみ)」⇒「三崎玲資(みさき れいじ)」と数多くの芸名を名乗っていたといいます。
炎三四郎(ほのお さんしろう)
まず、大映入社後、永田秀雅副社長の趣味によって一方的に命名されたのが、「炎三四郎(ほのお さんしろう)」だったそうで、
自身の柔道経験にちなんだ「三四郎」と、往年の大映女優・炎加代子さんから取られたインパクトのある名前だったそうですが、
速水亮さん本人は不本意で、一時は映画界を引退しようと思い詰めるほど嫌だったといいます。
豊田正文(とよだ まさふみ)
そこで、1971年の映画「海兵四号生徒」への出演を機に、念願の芸名変更が認められたそうで、
苗字は原作者の豊田穣さんにちなんで、「豊田正文(とよだ まさふみ)」としたそうですが、使用したのはこの作品のみです。
三崎玲資(みさき れいじ)
その後、大映の倒産により仕事が激減した時期、当時、凝っていた姓名判断をもとに改名したのが、「三崎玲資(みさき れいじ)」だったそうですが、
こちらも、わずか1〜2回使用しただけだったそうです。
速水亮(はやみ りょう)
そして、1974年、「仮面ライダーX」の主人公・神敬介役に抜擢された際、原作者の石ノ森章太郎さんが考えた「速水」の姓に、東映のプロデューサー・渡邊亮徳氏の「亮」をもらい受け、現在の芸名「速水亮(はやみ りょう)」となったのだそうです。
(ただ、これも、当初はいずれ変えるつもりだったそうですが、そのまま定着したのだそうです)
速水亮は幼少期、両親の離婚により祖父母に育てられていた
さておき、速水亮さんは、千葉県君津市で誕生するのですが、その後、神奈川県横浜市に引っ越しすると、6歳まで横浜商店街の近くに住み、家の近くにあった映画館によく通っていたといいます。
しかし、1955年、6歳の時、両親が離婚すると、その後は、千葉県木更津市に住む祖父母のもとで育てられ、
速水亮さんのお母さんは、木更津から横浜に出稼ぎに行っており、会えるのは年に2回程度だったそうで、
速水亮さんは、
凄く印象に残っているシーンがあって、母が木更津から横浜へ出稼ぎに行く時「また来るね」と言って船に乗り込むんだけど、私は一回も泣いたことがありませんでした。
今思うと、もし自分が寂しいと泣いたら母や祖母が悲しくなるのを子供ながらに分かっていて、我慢をしていたんです。
と、語っています。
速水亮は高校時代、大学からスカウトが来るほど柔道が強かった
その後、速水亮さんは、中学時代は、毎日のようにケンカに明け暮れる不良少年だったそうですが、
高校進学後、柔道部に入部し、主将を務めるようになると、公式戦で無敗を誇り、大学からスカウトが来るほどの強さになったそうで、
速水亮さん本人も、
柔道で大学へ進学し、日本武道館の舞台に立つ
という夢を抱くようになったといいます。
速水亮は高校3年生に進級する直前に素行の悪さが原因で高校を退学させられていた
ただ、高校時代は、部活動だけでなく遊びにも忙殺されていたそうで、
素行の悪さから学校とのトラブルが絶えず、ついに、3年生に進級する直前、退学処分を受けてしまったのだそうです。
速水亮は高校中退後の19歳の時に役者を目指して上京していた
その後、速水亮さんはバーテンダーやウェイターとして働いていたそうですが、1967年、19歳の時、ある日、親友が新聞に載っていた新人俳優の写真を見ながら、
こいつより、お前の方がよっぽど(顔が)いいよな
と、声をかけてきたそうで、
速水亮さんも、もともと、
とにかく目立ちたい、街を歩けば誰もが振り返るような存在になりたい
という強い憧れを抱いており、一時期は、プロレスラーを目指していたこともあったことから、
その言葉を聞いた瞬間、
これだ!
と直感し、すぐに役者を目指して上京したのだそうです。
速水亮は19歳の時に大映ニューフェイスに第20期生として合格していた
こうして、上京した速水亮さんは、ある日、駆け出しの女優と知り合ったそうですが、その女性から「大映ニューフェイス」の応募書類をもらったそうで、
早速、友人に頼んで応募用の写真を撮影してもらい、いざ書類を送ろうとしたそうですが・・・
あらためて応募期日を確認すると、すでに締め切りを過ぎてしまっていることに気が付いたそうです。
ただ、速水亮さんは、
せっかく撮った写真が無駄になるのはもったいない。ダメもとで送ってみよう
と、送ることにしたそうで、
さらには、本来の規定では写真は3枚と決められていたそうですが、手元には写真が約20枚あったことから、すべてを同封して送付すると、
なんと、期限切れにもかかわらず書類選考を突破したそうで、その後も勝ち進み、1969年、19歳の時、約2万人もの応募者の中から、大映ニューフェイス(第20期生)に見事、合格したのだそうです。
「【画像】速水亮の若い頃から現在までの出演ドラマ映画ほか経歴は?」に続く
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1969年、19歳の時、大映に入社し、「あゝ陸軍隼戦闘隊」で映画デビューすると、その後、大映の倒産などがありながら、1974年、25歳の時、特撮ドラマ「仮面ライダーX」で主人公・神敬介/仮面ライダーXに抜擢されて、脚光を …







