1974年、24歳の時、「ウルトラマンレオ」の主演に抜擢されると、たちまち脚光を浴びた、真夏竜(まなつ りゅう)さんですが、
その撮影は、真冬の海や滝で行われたほか、ブレーキの甘いジープや先端を鋭く削った丸太での特訓などもあり、非常に危険なものだったといいます。
今回は、真夏竜さんが「ウルトラマンレオ」の撮影現場で経験したという想像を絶するエピソードについてご紹介します。

「【画像】真夏竜の若い頃から現在までの出演ドラマ映画は?妻は?子供は?」からの続き
真夏竜は年1~2回しか帰省しない実家で偶然、真船禎監督からの電話を取っていた
真夏竜さんは、1971年頃、横浜のクラブで歌っていると、お客として来ていた、真船禎監督(後に「ウルトラマンレオ」で第1話と第2話を演出)と知り合ったそうで、
その時、真夏竜さんは、
今は歌を歌っていますが、ゆくゆくは芝居のほうをやってみたい
などと、話をしたそうです。
その後、真船禎監督とは、頻繁に連絡を取り合っていたわけではなかったそうですが、それから約3年が経った頃、たまたま、埼玉の実家に帰省中だった真夏竜さんのもとに、真船禎監督から電話があり、
新しい作品の主役が決まらない。明日、TBSに来なさい
と、言われたそうで、
真夏竜さんは、この時のことを、
たまたま埼玉の実家に帰省していたんだけど、そこに真船監督から電話があったんですよ。今思うとね、どうやって実家の電話番号を調べたのかな?
あの日は両親が買い物に出ていて、ちょうど留守番をしている時に電話が掛かってきたんです。ボクが家にいなかったら、チャンスを逃していたかもしれませんね・・・監督、随分、居場所を調べたみたいだったなあ
当時は実家を離れて暮らしていたのですが、1年に1回か2回だけ、実家に帰っていました。監督から電話がかかってきたのがちょうどそのタイミングで、少し時間がズレていたらその電話も受け取れていなかったんです。
後で聞いたら、3,000人くらいオーディションをやっても決まらず、真船監督が僕を推薦してくれたということでした。
などと、語っています。
(「ウルトラマンレオ」の主役オーディションを開催すると、3000人もの応募があったそうですが、制作側が「これだ!」と思える俳優はなかなか見つからず、主役選びは難航していたそうで、そんな中、過去のウルトラマンシリーズで何度もメガホンをとっていた真船禎監督が白羽の矢を立てたのが、真夏竜さんだったそうです)
真夏竜は「ウルトラマンレオ」の面接で少林寺拳法ができることが合格の決め手となっていた
こうして、真夏竜さんが、翌日、TBSに行き、面接を受けると、真船禎監督のほか、円谷プロダクションの熊谷健プロデューサー、TBSの橋本洋二プロデューサーも同席していたそうですが、
真夏竜さんが部屋に入った途端に聞かれたのは、「芝居ができるか?」ではなく、
君、アクションができるか?
という質問だったそうで、
真夏竜さんが、
少林寺拳法をやっていました
と、答えると、
これが決め手となり、その場ですぐに「合格」を言い渡されたのだそうです。
(当時は、映画「燃えよドラゴン」の大ヒットでカンフー映画ブームが巻き起こっており、制作費削減の煽りもあって、新しいウルトラマンは「宇宙拳法の達人」として格闘戦を軸に描くことが決まっていたそうで、少林寺拳法が得意な真夏竜さんは、まさにうってつけの存在だったのだそうです)
真夏竜は「ウルトラマンレオ」に合格するとわずか1週間後には収録がスタートしていた
こうして、「ウルトラマンレオ」の主人公・おゝとりゲン/ウルトラマンレオという大役に合格した真夏竜さんは、
心の準備をする間もないまま、防衛チーム「MAC」の隊員服のサイズ合わせ、主題歌のレコーディング、記者会見と、分刻みのスケジュールに忙殺されたそうで、
合格からわずか1週間ほどのバタバタとした状況の中で、そのまま「ウルトラマンレオ」の収録へと突入したといいます。
「ウルトラマンレオ」の過酷過ぎる撮影とは?
すると、「ウルトラマンレオ」の撮影はとても過酷だったそうで、真夏竜さんは、今だから明かせるという、驚きのエピソードを語っています。
第4話「男と男の誓い」では、真冬の滝で撮影していた
真夏竜さんは、第4話「男と男の誓い」の撮影は、1月に滝で行ったそうですが、”滝の水を斬る”という特訓のシーンだったそうで、
真夏竜さんは、
(モロボシ)ダン隊長(森次晃嗣さん)に『その顔は何だ!』と怒鳴られる回ですね。あのシーンは真冬の撮影でね。水が『痛い』という感覚分かります?とにかく、休憩時間にたき火をたいても体が温まらない。
朝からずっと滝壺の中に入っていて、最後は足が動かず、撮了(クランクアップ)した後はバタッ、と水の中に倒れてしまった。一つだけ言えることは『滝は切れない!』(笑い)
と、語っています。

「ウルトラマンレオ」第4話より。真冬の1月に滝に打たれる真夏竜さん。
また、真夏竜さんは、第1話「セブンが死ぬ時!東京は沈没する!」の撮影も、真冬の12月に海で行っていたといいます。

第1話「セブンが死ぬ時!東京は沈没する!」より。
第6話「男だ!燃えろ!」では、先端を鋭く削った丸太で特訓していた
真夏竜さんは、第6話「男だ!燃えろ!」では、先端を鋭く削った本物の丸太を相手に特訓するという、非常に危険な撮影を行っていたといいます。
そんな中、真夏竜さんは、当初は無我夢中で考える余裕もなかったそうですが、
(ウルトラマンレオに抜擢された時は、「やったね」と思ったそうですが)
回を重ねるうちに、
なぜ毎回、死にそうな撮影をしなければいけないのか
この仕事を受けるべきではなかったかもしれない
と、感じるようになったといいます。
第6話「男だ!燃えろ!」では、ブレーキの甘いジープ特訓でひかれそうになっていた
また、その、丸太の特訓中には、モロボシ・ダン隊長から「丸太には殺気がない」と叱咤され、モロボシ・ダン隊長が運転するジープに追いかけ回される特訓にまで発展したそうですが、
なんと、使用されたジープは、中古車で急ブレーキをかけても約6メートルも進んでしまう状態だったそうで、テスト走行の時には、ジープの車輪がふくらはぎに当たるほど接近していたといいます。
そのため、(ジープはスピードが出ている状態だったため)一歩でもつまずけば完全にひかれて死亡する危険性があったことから、あまりの危険さに、真夏竜さんは、この時、監督だった東条昭平さんに、
危ないじゃないですか!
と、猛抗議をしたそうですが、
東条昭平監督は、その抗議をじっと聞いた直後、何事もなかったかのように、
はい、本番!
と、撮影をスタートさせたそうで、

真夏竜さんのジープ特訓シーン。
真夏竜さんは監督への怒りの表情が消えないまま本番の撮影に臨んだといいます。
結果、ファンからは、このシーンについて、
ゲンの目の芝居が真剣で良かった
と、言われるそうですが、
真夏竜さんとしては、芝居ではなく、監督に対して本気で怒っている目だったそうで、
劇中のセリフで、
隊長、やめてください!
と言ったときには、
監督、やめてください!
と、心の中で強く願いながら、叫んでいたのだそうです。
(劇中で見せるゲンの鬼気迫る表情や緊迫感は、演技を超えた「本物の怒りと恐怖」から生まれたものだったのだそうです)
「ウルトラマンレオ」の撮影は超ハードスケジュールだった
また、「ウルトラマンレオ」の撮影は、常に2本ないし3本のエピソードを同時進行しながら行っていたそうですが、
毎朝5時や7時に出発し、撮影が終わるのは夜の10時(1日およそ15〜17時間)と極めてハードだったそうで、このような生活を丸1年間休むことなく続けていたといいます。
そのため、真夏竜さんは、どのエピソードでどんな怪獣や星人が出てきて、自分がどういう絡み(アクションや芝居)をしたのか、現在ではまったく記憶に残っていないそうで、
ファンの方たちのほうが、自分よりもずっと『レオ』に詳しい
と、語っています。
実際、ファンの間で名シーンとして名高い、最終回「さようならレオ!太陽への出発(たびだち)」での、真夏竜さんが、登場人物のトオルに別れを告げてヨットに乗って去っていくシーンについても、
真夏竜さんは、確かに撮影したという記憶自体は残っているものの、細かい演出や部分については覚えていないそうで、
長い歳月が経過していることもありますが、それ以上に、当時の撮影がどれほど過酷で、息つく暇もない限界の連続であったかが分かります。
真夏竜は現在のヒーローには「死ぬ気」が足りないと答えていた
そんな真夏竜さんは、2015年、映画「アウターマン」の先行上映会に出席した際には、
今のヒーローものの現場は恵まれている。役者も大事にされているよね。僕らのころは怪我をしてもほっとく無責任なスタッフがいた
と、「ウルトラマンレオ」の撮影を懐かしさと共に振り返っているのですが、
今のヒーローに足りないものは?
との質問には、
死ぬ気
と、間髪入れずに笑顔で答えており、
やはり、いかに、当時の撮影現場が過酷だったかが分かります。
「真夏竜の病気は?胃ガンで余命宣告を受けていた!壮絶な闘病生活とは?」に続く
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