15歳の時、バラエティ番組「欽どこ(欽ちゃんのどこまでやるの!?)」に出演して以来、バラエティ番組や情報番組などでリポーターやMCを務めるなど、タレントとして活動するほか、俳優としてテレビドラマにも出演している、見栄晴(みえはる)さん。
そんな見栄晴さんは、「欽どこ」で萩本欽一さんと出会って以来、現在も萩本欽一さんを父と慕っているといいます。
今回は、見栄晴さんと萩本欽一さんの様々なエピソードをご紹介します。

「【画像】見栄晴の若い頃は欽どこ!現在までの出演バラエティ映画ドラマは?」からの続き
見栄晴は15歳の時、「欽ちゃんのどこまでやるの!?」の初代・見栄晴(人形)にそっくりだった
見栄晴さんは、子役時代「劇団いろは」に所属していたそうですが、1981年、15歳のある日、ギャラを受け取りに劇団へ行った際、
劇団の幹部に、
(番組の人形に)似てるなあ、まだ間に合うかなあ
と、言われ、
言われるがまま、「欽ちゃんのどこまでやるの!?」のプロデューサーだった皇達也さんのもとに連れて行かれたそうですが、
皇達也さんにも、
確かに似てるなあ
と、言われ、急遽、「欽ちゃんのどこまでやるの!?」の最終オーディションに行くことになったといいます。
実は、「欽ちゃんのどこまでやるの!?」では、当初、”萩本家”の長男の「見栄晴」は人形で、その後、当時、幼稚園児だった西澤祐一郎さんが、2代目・見栄晴役を務めていたのですが、
番組のリニューアルに伴い、学生に成長した見栄晴役をオーディションで募集していたタイミングだったそうで、見栄晴さんは、初代・見栄晴(人形)にそっくりだったのだそうです。

初代・見栄晴(人形)、2代目・見栄晴、3代目・見栄晴。
1981年、15歳の時、「欽ちゃんのどこまでやるの!?」での「萩本見栄晴」役で一躍お茶の間の人気者となると、その後も、バラエティ、情報番組、テレビドラマ、競馬番組(MC)まで、幅広い分野で活動している、見栄晴(みえはる) …
見栄晴は15歳の時、「欽ちゃんのどこまでやるの!?」の最終オーディションにじゃんけんで勝ち合格していた
こうして、見栄晴さんは、最終オーディションの会場に行ったそうですが、そこには、一人だけ男の子がいたそうで、
面接官として参加していた萩本欽一さんに、
2人でじゃんけんしてよ
と、言われたことから、
言われるがままにじゃんけんをすると、見栄晴さんは、”パー”を出して勝ったそうですが、
萩本欽一さんには、
うん、わかった、帰っていいよ
とだけ言われたのだそうです。
(見栄晴さんは、お芝居の審査があると思っていたことから、「これで終わり?」と、呆然としたそうです)
すると、後日、
合格したので、テレビ朝日に来週来てください
と、電話があったそうで、
見栄晴さんは、見事、「萩本見栄晴」役に合格したのだそうです。
萩本欽一は見栄晴をひと目見て3代目・見栄晴にすることを決めていた
というのも、実は、3代目・見栄晴役は、既に、(見栄晴さんと最終オーディションに参加していた男の子に)決まっていたそうですが、
萩本欽一さんは、見栄晴さんを見た瞬間、見栄晴さんを3代目・見栄晴役にしようと決めていたのだそうです。
(プロデューサーも同じ意見だったそうです)
ただ、一度決まっていた合格者は、多感な高校1年生だったことから、実力不足で落とされたとなれば、その後のキャリアや人生に傷が残るかもしれない、「運が悪くてじゃんけんに負けた」という形にすれば、プライドを傷つけずに済むと、萩本欽一さんが「ジャンケン対決」を思いついたそうで、
(また、見栄晴さんも、じゃんけんで合格したとなれば、インタビューやメディアで取材を受ける際、良い”つかみ”になると、萩本欽一さんは考えたそうです)
萩本欽一さんは、周囲のスタッフたちに、
見栄晴が絶対に勝つから。もし負けても、見栄晴にしようよ
と、話していたのだそうです。
ちなみに、萩本欽一さんは、後に、インタビューで、
高校生だった見栄晴には、まだなんにもなかった。オーディション参加者の中で一番ぼ~っとしていたのが見栄晴。そこが番組にマッチするんじゃないかと思った
と、見栄晴さんを3代目・見栄晴に決めた理由を語っています。
見栄晴は萩本欽一に大学進学を勧められていた
さておき、見栄晴さんは、高校3年生の時、「欽ちゃんのどこまでやるの!?」への出演が終了しているのですが、その後の進路に悩んでいると、
萩本欽一さんから、
将来はどうするんだい?
と、声をかけられたそうで、
見栄晴さんは、
このまま芸能界で仕事をしたいです
と、答えたそうですが、
萩本欽一さんは、
芸能界もいいけれど、大学に行ったほうがいいよ。おれも行きたかったけどお金がないから行けなかった。大学に行ったら一生付き合える友達ができるんだよ。友達を作りに行くのもいいんじゃない?
と、優しく諭すように話してくれたそうで、
この言葉に胸を打たれた見栄晴さんは、大学受験を決意したといいます。
見栄晴は浪人中、萩本欽一の自宅で倉沢淳美と3人で大学受験の勉強をしていた
とはいえ、見栄晴さんの高校(進学校だったそうです)での成績は、学年で下位争いをするレベルだったため、現役合格は叶わず一浪することになってしまったそうですが、
そんな浪人生活の中、萩本欽一さんから、
勉強、やってる?
と、電話がかかってきたそうで、
見栄晴さんが、
夏期講習に行こうと思っています
と、話すと、
萩本欽一さんは、
よかったら、うちへおいでよ。俺も勉強しようと思ってさ
と、自宅へ招いてくれたそうで、
見栄晴さんは、週に1度、萩本欽一さんの自宅に通うようになったのだそうです。
ちなみに、萩本欽一さんの自宅に行くと、「欽ちゃんのどこまでやるの!?」で見栄晴さんの3つ子の妹の次女・かなえ役を演じていた倉沢淳美さんもいたそうで、萩本欽一さんが大手進学塾から招いた一流講師のもと、3人で勉強をしたそうですが、
この時の高額な授業料は、すべて萩本欽一さんが肩代わりして支払ってくれたうえ、自宅を訪ねた時は、食事も用意してくれたそうで、
そんな萩本欽一さんの手厚いサポートのお陰で、見栄晴さんは、無事、東海大学教養学部への合格を果たしたのだそうです。
(ただ、見栄晴さんは、ギャンブルが原因で大学を1年で中退してしまい、萩本欽一さんには呆(あき)れられたそうです)
見栄晴は萩本欽一が73歳で駒澤大学に合格し涙が止まらなかった
そして、それから30年後、
萩本欽一さんは、73歳にして、駒澤大学に合格しているのですが、
この報せを聞いた見栄晴さんは、かつて、萩本欽一さんが、
俺も勉強しようと思ってさ
と、言っていた言葉を思い出し、
あの時の勉強は、この日のためだったんだ
と、「まさか」という驚きと「本当にすごい」という尊敬の念から、涙が止まらなかったそうで、
見栄晴さんは、
やっぱり『萩本欽一』はすごい。僕は、とても貴重な経験をさせてもらったんです
と、語っています。
見栄晴は萩本欽一から一度も直接”芸”を教わったことがない
そんな見栄晴さんは、
これだけ長く芸能界で仕事ができていることが、信じられません。なんとかやってこられたのは、きっかけをくれた大将(萩本欽一さん)と、支えになってくれた友達のおかげです。
僕は、ひとりでは何もできない人間。それは、本人がいちばんわかっていますから。これからもきっと、皆さんに助けられながら生きていくんだと思います(笑)
と、語っており、
公私ともに自分を導いてくれた萩本欽一さんのことを現在でも父と慕っているそうですが、
“芸”に関しては、一度も直接教えてもらったことはないといいます。
ただ、その代わりに、一緒にゴルフへ行った際、
見栄晴、ティーグラウンドのギリギリ前方にボールを置く人がいるじゃない。そんなことで飛距離はたいして変わらないのに、周りからセコいと思われるようなことをしちゃだめだよ
と、諭されるなど、
しばしば、”大人の振る舞い”は教えられたといいます。
もっとも、見栄晴さんは、
僕は今でも、ボールをギリギリまで前に置いてしまうんですけどね
と、笑いながら語っています。
見栄晴は萩本欽一に2回だけ褒められたことがあった?
また、見栄晴さんは、萩本欽一さんに2回だけ褒められたことがあるといいます。
1回目は「欽ちゃんのどこまでやるの!?」の出演が終了した際、
上手になったね
と、言われたこと。
そして、2回目は、見栄晴さんが出演していた舞台の楽屋に、萩本欽一さんが訪ねてきてくれ、
お前のすごいところは、友達を作れるところ。俺は友達を作れないんだよなぁ。だから見栄晴は、芸がなくても芸能界で生きていけるよ
と、言ってもらったことだそうですが・・・
見栄晴さんは、そう語りながら、
よく考えると、これ、ほめられてないですね
と、苦笑しています。
「見栄晴の競馬(ギャンブル)愛が凄い!高校時代から300万借金していた!」に続く
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