1981年、20歳の時、バラエティ番組「欽ドン!良い子悪い子普通の子」から誕生したユニット「イモ欽トリオ」として「ハイスクールララバイ」でレコードデビューすると、160万枚を売り上げる大ヒットとなって、たちまちブレイクを果たし、
1986年、26歳の時には、人気刑事ドラマ「太陽にほえろ!」で太宰準(DJ)役にも起用された、西山浩司(にしやま こうじ)さん。
今回は、そんな西山浩司さんの若い頃(「イモ欽トリオ」としてデビュー以降)から現在までの経歴を時系列でご紹介します。

「西山浩司の生い立ちは?中1の時「スター誕生!」でスカウトされていた!」からの続き
西山浩司は20歳の時「欽ドン!良い子悪い子普通の子」内ユニット「イモ欽トリオ」としてデビューシングル「ハイスクールララバイ」が160万枚を売り上げる大ヒット
中学3年生の時、「スター誕生!」のレギュラーになった西山浩司さんは、高校2年生の時には、(「欽ドン!良い子悪い子普通の子」の前番組である)「欽ちゃんのドンとやってみよう!」のレギュラーとして出演するようになり、
1981年4月には、「欽ドン!良い子悪い子普通の子」に「ワルオ役」として初出演を果たしているのですが、
同年8月5日、20歳の時には、「欽ドン!良い子悪い子普通の子」内で結成された、ヨシオ役の山口良一さん、フツオ役の長江健次さんとのユニット「イモ欽トリオ」として、ファーストシングル「ハイスクールララバイ」でレコードデビューすると、160万枚を売り上げる大ヒットを記録し、
リーゼントに学ラン姿のワルオ役の西山浩司さんも、たちまちブレイクを果たしています。

「ハイスクールララバイ」より。
ちなみに、西山浩司さんは、この頃の生活について、
20歳で若いから体力があったんでしょうけど、寝る時間もあまりなかったですね。でもその合間を縫って遊びに行ったりもしていましたね。遊びと言っても、ちょっと飲みに行ったりとか、そんな程度の遊びですけど。
とにかく東京中のスタジオを片っ端からたらい回しのような状態だったんですよ。(長江)健次が高校生だったので、夏休みにはもうここぞとばかりに、1ヵ月間、毎日1日に7、8本取材を受けるんですよ。もうほんとに嫌になるぐらい。
それで取材のほかにラジオ番組やテレビ番組の移動も、山口(良一)君と僕は全部自分たちで移動していましたからね。オートバイとか車で、それも衣装や靴を自分たちで持ってですよ。
普通はマネジャーが車を運転して、後ろのシートでちょっとは寝られたりするものじゃないですか。それが僕のマネジャーがそのときに免停を食らっていて運転できなかったんですよ(笑)。
当時は寝る時間もないし、食べる時間もなくて。『せめて飯だけは食べさせてくれよ』って思いながら、毎日取材攻勢を受けていましたね(笑)
と、語っています。
西山浩司が22歳頃「イモ欽トリオ」は音楽活動を終了していた
そんな西山浩司さんは、翌年の1982年3月21日にも、「イモ欽トリオ」として、2枚目のシングル「ティアドロップ探偵団」をリリースすると、こちらもヒットしているのですが、

「ティアドロップ探偵団」
1982年9月、フツオ役の長江健次さんが、大学受験のため、「イモ欽トリオ」を脱退して、同時に「欽ドン!」を降板し、後藤正さんが二代目フツオ役となり、1983年1月1日に3枚目のシングル「ティーンエイジ・イーグルス」リリースするも、
長江健次さんほどの人気は出ず、これを最後に、「イモ欽トリオ」の音楽活動は終了しています。
(後藤正さんは、1983年5月に番組を降板し、芸能界からも引退しています)

「ティーンエイジ・イーグルス」
西山浩司が24歳の時「欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子」の放送が終了していた
その後、一般募集のオーディションで境田晃一さんが三代目フツオに選ばれるのですが、またしても、人気はイマイチで、徐々に「イモ欽トリオ」の活動は、番組以外ではなくなっていき、
番組も、1983年9月には、「欽ドン!良い子悪い子普通の子」から「欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子」にリニューアルしたものの、1985年5月には放送が終了しています。
西山浩司は24歳の時にファーストアルバム「RUSH」でソロデビュー
そんな中、西山浩司さんは、「欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子」放送終了後の、同年7月21日には、ファーストアルバム「RUSH」でソロデビューを果たしています。
西山浩司は25歳の時「太陽にほえろ!」に太宰準(DJ)役でレギュラー出演していた
また、西山浩司さんは、「欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子」と並行して、俳優としてもテレビドラマなどに出演しており、「欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子」終了後は、俳優業に専念すると、
1986年8月、25歳の時には、人気テレビドラマ「太陽にほえろ!」に太宰準(DJ)役でレギュラー出演しています。

「太陽にほえろ!」より。
ちなみに、西山浩司さんは、「太陽にほえろ!」に出演した時のことを、
張り切り過ぎたせいか、6本撮ったところで髄膜炎になってしまいました。のたうち回るほど頭が痛くて、緊急入院して2週間は面会謝絶。ようやく病院から現場に行けるようになったけど、まともに歩くこともできない。
おかげで主役の予定だった2時間スペシャルは、又野誠治さんの澤村誠(ブルース)になっちゃった。
僕としては10年はやるつもりだったんですけどね。結局、ワンクールで終わってしまいました。
でも、療養中だったボスの石原裕次郎さんと最終回で会うことができました。机に座ったボスの前で僕が演技をするなんて、夢のようでした。とにかく、あんなオーラのある人を見たのは最初で最後です。
と、語っています。
西山浩司は37歳の時「最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦」初出場で総合2位になっていた
さらに、西山浩司さんは、優れた運動神経を活かして、俳優業のかたわら、芸能人運動会などで活躍しており、
1998年、37歳の時には、「最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦」の「第4回芸能人サバイバルバトル」(1998年10月2日放送)で、初出場にして総合2位の成績を残しています。
(以降、1999年3月26日~2003年3月31日放送(第5回、第6回、第8回~第11回大会)まで出場しています)
西山浩司は51歳の時「西山浩司ワルオバンド」を結成していた
また、西山浩司さんは、2012年、51歳の時には、「西山浩司ワルオバンド」を結成すると、
- 2012年10月7日には、東京
- 2012年10月20日には、香川
- 2012年12月9日には、愛知
で、ライブを開催し、
ステージでは、「イモ欽トリオ」で実際に着用していたリーゼントのかつら姿で登場しています。

実は、西山浩司さんは、「イモ欽トリオ」で活躍していた当時は、ワルオ役に見られることが嫌だったそうで、
僕はワルオとして見られることがイヤでイヤでたまらなかった。 『早くワルオを卒業したい』『ワルオは過去のことだ』と、自分が成長していくためにはワルオは邪魔だった。
あるお店で飲んでいたとき、ほかのお客さんが勝手に 『ハイスクールララバイ』のカラオケを、リクエストしたことがありましたが、僕は店をそっと出ました。それくらいイヤだったのです。
と、明かしているのですが、
2011年10月にfacebookを始めた時、「イモ欽トリオ」や「ワルオ」の根強いファンからアクセスがあり、それ以来、ワルオへの思いが変わったそうで、
衣装屋さんにも当時の特注のリーゼントのカツラが、美しいまま保存されていました。今回のファーストライヴでは、リーゼントのカツラを着用しますが、その衣装は学ランではありません(笑)。31年かけて進化したワルオをぜひ楽しみにして下さい。
と、語っています。
西山浩司の現在は?
そんな西山浩司さんは、2014年、53歳からは、「イモ欽トリオ」としても時々ライブを行うようになったそうで、2022年には、「イモ欽トリオ」として、初の全国ライブを行っています。
また、2023年、62歳の時には、デビュー50周年ライブ「50年分のLOVIN’ TONIGHT!!」、

「50年分のLOVIN’ TONIGHT!!―前夜祭」より。
2025年、64歳の時には、ヨシオ役の山口良一さんの古希を記念して、「山口良一古希記念LIVE」ツアーを全国7都市、8公演を開催しており、
現在は、「イモ欽トリオ」での活動のほか、バンド活動やポッドキャストでの配信を中心に活動を続けているそうです。
ちなみに、西山浩司さんは、
数年前(2014年)からイモ欽の活動も行っています。リーゼントはロマンスグレーですよ。3人の仲は今が一番いいんじゃないかな。昔、僕と健次は殴り合い寸前になったこともありましたが、みんな年も取ったし、丸くもなった。
ライブのトークなんて、打合せなしでも絶妙なバランスでできますからね。僕も紆余曲折ありましたけど、あの「ハイスクールララバイ」があったから、今もこうしてやっていけてるんですよ。
と、語っています。

「イモ欽トリオ」より。(左から)山口良一さん(ヨシオ)、長江健次さん(フツオ)、西山浩司さん(ワルオ)。
「【画像】西山浩司の出演ドラマCMバラエティは?ディスコグラフィは?」に続く
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バラエティ番組「欽ドン!良い子悪い子普通の子」で結成されたユニット「イモ欽トリオ」のワルオ役でブレイクすると、その後は、俳優として「太陽にほえろ!」にレギュラー出演するほか、 抜群な運動神経を活かし、「最強の男は誰だ!壮 …






