「欽ドン!良い子悪い子普通の子」で結成されたアイドルユニット「イモ欽トリオ」で、リーゼントに学ラン姿のワルオ役に起用されると、たちまち、お茶の間の人気を博した、西山浩司(にしやま こうじ)さんですが、

実は、当初、西山浩司さんは、ワルオ役ではなく、ヨシオ役だったといいます。

今回は、西山浩司さんがヨシオ役からワルオ役に変更された理由や、大ヒット曲「ハイスクールララバイ」の知られざるエピソードなどをご紹介します。

イモ欽トリオ

「西山浩司は萩本欽一に天才と言われていた!同居もしていた!現在は?」からの続き

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西山浩司はワルオではなくヨシオの予定だった

西山浩司さんは、中学3年生の時から、萩本欽一さんのテレビ番組「スター誕生!」にレギュラー出演するようになると、

高校2年生の時には、「欽ちゃんのドンとやってみよう!」(「欽ドン!良い子悪い子普通の子」の前番組)にレギュラー出演していたのですが、

そんな中、新番組「欽ドン!よい子悪い子普通の子」が始まる際、萩本欽一さんから、

今度、新しい番組始めるんだけど、よい子・悪い子・普通の子のうち、お前どれがいい?

と、尋ねられたそうで、

西山浩司さんが、

ワルオがいい

と、答えると、

萩本欽一さんからは、

じゃあ、お前はヨシオ

と、言い渡されたそうで、

西山浩司さんは、「ヨシオ」役の予定だったといいます。

(「ワルオ」役は中原理恵さん)

西山浩司がワルオからヨシオに変更となった理由は?

ただ、中原理恵さんが、同番組で「良い妻・悪い妻・普通の妻」の3役を1人で演じることが決まり、負担が大きすぎるという理由で、直前に配役の変更が行われたそうで、

結果、西山浩司さんは、「ヨシオ」から希望通りの「ワルオ」役に変更となり、当初「フツオ」役に決まっていた山口良一さんが「ヨシオ」役へスライドすることになったのだそうです。

ちなみに、西山浩司さんによると、急な配役変更によって「フツオ」役が空いてしまい、どうしようかとなった時、オーディションの参加者はすでに帰宅した後だったそうですが、

既に不合格となるも、たまたまテレビ局に1人だけ残っていた長江健次さんが、一転、「じゃあ、彼で」という萩本欽一さんの鶴の一声で、長江健次さんがフツオ役に抜擢されたそうで、

西山浩司さんは、

萩本さんのオーディションって、もちろん演技力なども見るんですが、その人の運みたいなものを重視しているんです。健次が残っていたのも運でしょう。

と、語っています。

「ハイスクールララバイ」はデモテープの段階では暗い曲だった

さておき、こうして、「ワルオ」役に起用された西山浩司さんは、その後、「ハイスクールララバイ」で「イモ欽トリオ」としてレコードデビューし、大ヒットとなっているのですが、

実は、レコーディング前、メロディのみが録音されたデモテープを渡され聴いた際には、曲調が全体を通してとても低調で暗いメロディだったことに驚いたといいます。

(完成版のレコードでは「♪とにかくとびきりの美少女さ」の“美”の部分で音が跳ね上がるポップな調子なのですが、最初のデモ音源は音が上がることもなく暗い調子だったそうです)

「ハイスクールララバイ」はレコーディング当日にアレンジされていた

ただ、「ハイスクールララバイ」のレコーディング当日、西山浩司さんらが一口坂スタジオへ向かうと、そこには、松本隆さん(作詞)と細野晴臣さん(作曲)が揃って待っていたそうで、

(松本隆さんと細野晴臣さんははかつて伝説的ロックバンド「はっぴいえんど」のメンバー同士でしたが、商業音楽でタッグを組むのはこの曲が初めてでした)

世界の「YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)」として活躍する細野晴臣さんを前に圧倒され、

また、歌詞を渡され、

じゃ、この詞を覚えてきた曲(渡されていたデモ音源)に合わせて

と、指示されるも、

素人同然だった西山浩司さんらが戸惑っていると、

細野晴臣さんが、その場でアドリブを交えながら曲のアレンジを変え始め、手拍子(クラッピング)を加えたり、曲のテンポをアップテンポへと引き上げたりしたそうで、

当初の暗い曲調から一転、明るくポップな曲に生まれ変わったのだそうです。

「ハイスクールララバイ」は振り付けもレコーディング当日に決まっていた

また、レコーディング中は、長江健次さんがメインボーカルを務めていたことから、西山浩司さんと山口良一さんには待ち時間があったそうで、

その間、西山浩司さんと山口良一さんが、スタジオの隅で、「YMO」の演奏風景をマネして、西山浩司さんがエアドラム、山口良一さんがエアキーボード、さらには、手拍子の音に合わせてお互いにビンタをし合う動作を交えて遊んでいると、

スタジオのガラス越しに見ていたスタッフや制作陣に大ウケし、ディレクターに、

それいいね、イントロのフリで使おう

と言われ、採用されたのだそうです。

(実際、このパフォーマンス(振り付け)は大きな話題となりました)

西山浩司は「イモ欽トリオ」として「ハイスクールララバイ」が大ヒットするも萩本欽一の意向で音楽賞受賞も紅白歌合戦出場もなかった

こうして、1981年8月5日、「ハイスクールララバイ」がリリースされると、音楽番組「ザ・ベストテン」では8週連続第3位を記録し、

そのうち、「イモ欽トリオ」が出演した9月17日放送の番組平均視聴率は41.9%と、「ザ・ベストテン」の歴代最高記録をマークするなど、最終的には160万枚を売り上げる大ヒットとなっているのですが、

(このヒットをきっかけに、細野晴臣さんと松本隆さんはコンビでヒット曲を連発するようになっているのですが、細野晴臣さんは、自身が作った曲で一番売れたということで、当時、自宅の神棚には「ハイスクールララバイ」のレコードを飾っていたそうです)

「イモ欽トリオ」は、これほどまでに大ヒットしたにもかかわらず、音楽賞など一切受賞しておらず、「NHK紅白歌合戦」にも出場していません。

それは、萩本欽一さんの意向によるものだったそうで、

西山浩司さんたちは、萩本欽一さんに、

お前たちは歌手じゃない。お前たちが出ると、歌で頑張っている人が1人、取れなくなる。悪いと思わないかい?

と、言われたのだそうです。

とはいえ、西山浩司さんは、

「欽ドン」を放送していたフジ系列の「FNS歌謡祭」なら、確実に賞を取れたと思いますけどね。それよりも「紅白」には、正直言って出たかった。

ワンチャンスしかないと思っていましたから、田舎の祖父や祖母にも見せたかった。とはいえ、大将(萩本欽一さん)には逆らえません。

と、語っています。

また、「イモ欽トリオ」はファンクラブもなく、コンサートも行わなかったそうですが、これも、萩本欽一さんの意向によるものだったそうです。

(一緒に「欽ドン」に出演していた中原理恵さんの中野サンプラザのコンサートに、ゲストとして出演しただけだったそうです)

西山浩司は「イモ欽トリオ」としてCM撮影のほか1日に6本~8本もの取材を受けるなど多忙な日々を送っていた

こうして、「イモ欽トリオ」は、「ハイスクールララバイ」が大ヒットしたにもかかわらず、音楽番組の賞レースへの辞退方針を貫き、単独コンサートなども行わなかったのですが、

一方、CM撮影や連日の取材対応などに追われる多忙な日々を送っていたそうで、

特に、「明星」「平凡」「セブンティーン」といった当時の大人気ティーン誌やアイドル誌からの取材が殺到し、1日に6本から8本もの取材をこなすスケジュールの中で、西山浩司さんは笑顔さえも引きつってしまうほどヘトヘトになっていたといいます。

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西山浩司は「欽ドン!よい子悪い子普通の子」のリハーサル&収録だけは二度としたくない

ただ、西山浩司さんが何よりも(精神的にも体力的にも)ヘトヘトになったのが、毎週月曜日に行われていた「欽ドン!よい子悪い子普通の子」の番組収録だったといいます。

(西山浩司さんは、当時の収録だけは「正直言って二度とやりたくない仕事」と語っています)

というのも、西山浩司さんたちは、毎週月曜日の昼頃、東京・河田町にあった旧フジテレビのスタジオに集合すると、18時までリハーサルが行われたそうですが、

どれだけ良い演技をしても、番組の主宰である萩本欽一さんは、タバコを吸いながらその様子を横目で見つつ、厳しい表情だったそうで、

(とはいえ、怒鳴ったり叱ったりすることは一切なかったそうです)

特にオチを担当する「ワルオ」役の西山浩司さんにとって、その空気感は強烈なプレッシャーだったのだそうです。

そんな中、リハーサル終了後の18時から本番が始まる19時までの1時間で、食事とメイクを済ませて気持ちを立て直さなければならなかったそうで、精神的にも追い詰められた状態で本番に臨んでいたのだそうです。

ちなみに、西山浩司さんは後に知ったそうですが、この過酷なリハーサルには、萩本欽一さんならではの「白黒論(あえてリハーサルで厳しい“黒=苦労”を味わわせることで、本番で“白=ウケる幸せ”を引き出すという独自の運の理論)」という意図があったといいます。

また、萩本欽一さんは、初対面の人は、頭から足先までじっくりと観察し、その人の持つ運や潜在能力を見極めていたそうで、西山浩司さんも初めて萩本さんに会った際には、同様にじっくりと観察されていたといいます。

「西山浩司の前妻(最初の妻)との馴れ初めは?離婚理由は?子供は?」に続く

ワル太郎な西山浩司異次元パフォーマンス2

お読みいただきありがとうございました

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