1966年、25歳の時、坂上二郎さんと「コント55号」でデビューされると、瞬く間に大ブレイクし、その後、ピンでも、1970年代から1980年代にかけて、「欽ちゃんのどこまでやるの!」「欽ドン!良い子悪い子普通の子」「欽ちゃんの週刊欽曜日」など、軒並み高視聴率を記録し、「視聴率100%男」と呼ばれた、萩本欽一(はぎもと きんいち)さんですが、今回は、そんな萩本さんと、現在の「お笑いビッグ3」のうちの2人、明石家さんまさん、タモリさんとの関係についてご紹介します。
「萩本欽一の昔は視聴率100%男も突然全番組降板!その理由とは?」からの続き
明石家さんまとの関係は?
萩本さんは、1970年代、一般人をいじり、その面白さを引き出すという、現在では当たり前となった芸風を確立し、大成功を収められたのですが、1980年代になると、タモリさん、ビートたけしさん、明石家さんまさんが、台頭してきます。
それでも、萩本さんは、たけしさんやタモリさんに対しては、まだまだ強気でしたが、さんまさんに対しては、そうではなかったようです。
というのも、萩本さんは、「欽ちゃんのドンとやってみよう!」で、初めてさんまさんと共演されたのですが、
本番前に楽屋で顔を合わせても、ふたりとも意識しすぎて、うまく話すことができずにいた時に、さんまさんから、「申し訳ない」という、気遣いを感じたそうで、
「負けるものか!」という気負いが、途端になくなったのだそうです。
しかし、いざ本番になると、さんまさんは、さっきまでとは打って変わって、「やっつけてやる」と言わんばかりの話術を炸裂。
萩本さんは、
「コイツになら負けてもいい」
「後が楽しみだな」
と、思われたそうで、
そう思わせるところが、さんまさんのさんまさんたるところと、おっしゃっていました。
さんまさんも凄いですが、欽ちゃんも、さすが、「大将」と呼ばれるだけの人物ですね!
タモリとの関係は?
それでは、タモリさんとの仲はどうなのでしょうか?
萩本さんは、2014年、初めて、「笑っていいとも!」に出演されているのですが、
その時、
「オレ、(タモリのことが)大嫌いだよ!」
と発言され、話題となったようです。
というのも、今から35年以上前のこと、萩本さんの近所に住んでいたタモリさんが、夜11時に突然、萩本さんの自宅にやってきたというのです。
その時、萩本さんは、放送作家と番組の打ち合わせ中だったのですが、タモリさんは、お構いなしに、朝までしゃべり続けたそうで、その結果、萩本さんは寝不足のうえ、打ち合わせ不足になってしまい、その日の番組収録はボロボロに。
それ以来、萩本さんは、「笑っていいとも!」の出演オファーを断り続けていたのでした。
しかし、それは、タモリさんが嫌いだから、ではないそうで、
萩本さんは、そのことについて、
違うの(笑い)。「好きだよ」って言ったらウケないから、逆に「嫌いなの」と毒づいたんです。
夜の11時に突然やってきて、それから8時間、イグアナのモノマネとか、四か国語マージャンとか、持ちネタをずっとやり続け、居合わせた放送作家の連中は、「タモリっておもしろいな!」って大感動しちゃって。
「このヤロー、コメディアンのオレを、こんなに笑わせやがって」って思って。でも、すごい奴だと感心しましたね。
と、明かしておられました♪
「笑っていいとも!」出演を断り続けていた理由とは?
ちなみに、萩本さんが、「笑っていいとも!」の出演オファーを断リ続けていたのは、お友達を紹介するのが難しかったから、との理由だったそうで、
この出演時は、友達を紹介しなくていい、ということだったので、オファーを受けたのだそうです♪
「萩本欽一とビートたけしの関係は?昔は敵意むき出しだった?」に続く
https://www.youtube.com/watch?v=5_DC3919NDg