「シェキナベイベー」が決め台詞のミュージシャン、内田裕也(うちだ ゆうや)さん。日本がまだ歌謡曲中心だった1960年代から、いち早くロカビリーやロックを音楽シーンに取り入れ、1970年代には、当時まだ難しかった、海外アーティストの来日に尽力されるなど、裏方的な仕事でも才能を発揮されました。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

内田さんは、1939年11月17日生まれ、
兵庫県西宮市のご出身、

身長174センチ、

学歴は、
大阪府立旭高等学校中退、

ちなみに、本名は内田雄也(読み同じ)です。

ロカビリーに目覚める

内田さんは、少年時代、生徒会長を務められるなど、真面目で勉強熱心な生徒だったそうですが、エルヴィス・プレスリーに憧れ、高校を中退すると、夜間高校に転校。音楽で生きていくことを、決心されたのでした。

そして、高校中退後の1957年、バンド・ボーイとして、音楽生活を開始されると、どのような経緯で、知り合われたのかは分かりませんでしたが、ほどなくして、佐川満男さんととともに、ロカビリーバンド「ブルー・キャップス」を結成。


デビュー当時の内田さん。

そして、翌年の1958年には、ご自身のバンド「ブルージーン・バップス」を結成し、1962年には、「渡辺プロダクション」に所属。「日劇ウエスタンカーニバル」に初出場されるなど、本格的に音楽活動を開始されたのでした。

独自の道を行く

ところで、当時の日本の音楽シーンは、歌謡曲が主流だったのですが、内田さんは、そんなことなど、どこ吹く風と、プレスリーのカバーばかりされていたそうで、

内田さんは、そのときのことを振り返り、

ナベプロのほうからは、いわゆる、普通の歌を唄わせようとしたこともあったけど、俺はヤんないッていってた。

と、明かしておられます。

その後、内田さんは、他のバンドにヴォーカルとして参加されたり、1963年には、「ザ・ヒットパレード」「パント・ポップショー」などのテレビ番組に出演。


右が内田さん。左は尾藤イサオさん。

翌年の1964年~1965年には、プレスリーの他に、チャク・ベリー、ジーン・ヴィンセント、ファッツ・ドミノのカバーなどをリリースされています。

ビートルズの前座?

そして、1966年には、「ビートルズ」来日公演にあたり、他のバンドのメンバーたちと特別編成のバンドを組み、「ウェルカム、ビートルズ」という曲を前座として披露されています。


「ウェルカム・ビートルズ」より。内田さんと尾藤イサオさん。

ちなみに、内田さんは、後に、

なぜ、外人の前に日本のバンドが出ると前座といわれるのか? 

冗談じゃねェ。

こっちは、本気でロックンロールしてるんだゼ。負けてたまるか!

と、おっしゃっていました♪

「ザ・タイガース」を発掘

また、同年、内田さんは、大阪のジャズ喫茶「ナンバ一番」に出演された際、「ザ・タイガース」の前身である「ファニーズ」を発掘。


「ザ・タイガース」

「ファニーズ」は、内田さんのはからいで渡辺プロに所属し、「内田裕也とタイガース」として、内田さんのバックアップのもと活動をスタートするのですが、

「ザ・タイガース」をアイドルバンドとして売り出したい事務所と内田さんの間には、次第に軋轢(あつれき)が生じます。

また、音楽フェスのプロデュースなど、裏方に徹したい内田さんを、事務所は理解することができず、1967年、ついに、内田さんは、退社を余儀なくされるのでした。

ヨーロッパを放浪

事務所退社後の内田さんは、ヨーロッパに渡り、様々な国を放浪されたそうで、クリーム、ジミ・ヘンドリックス、ピンク・フロイド、ジャニス・ジョプリンなどの新しいロックに衝撃を受け、再び生気を取り戻します。

そして、帰国後に、後の、「フラワー・トラベリン・バンド」となる、「フラワーズ」を結成されるも、1973年に活動休止すると、内田さんは、以降、ソロに転向されています。


「フラワー・トラベリン・バンド」右端が内田さん。
左端は故・ジョー山中さん。

出演作品(テレビドラマ、映画)

その一方で、1970年代には、ロックフェスの主催や海外アーティストの招聘に力を注ぎ、ジェフ・ベックやニューヨーク・ドールズなどの来日に尽力するほか、音楽活動以外に、俳優としても活動しておられます。

それでは、ここで、内田さんの主な出演作品をご紹介しましょう。

テレビドラマでは、

1966年「ザ・ガードマン」第87話
1967年「三匹の侍 第5シリーズ」第5話
1978年「七人の刑事」
1986年「翔んでる警視」
1988年「スターライト・キッズ 新・北斗七星伝説」
1998年「美少女新世紀 GAZER」第4話・第5話
2016年「警視庁捜査二課・郷間彩香 特命指揮官」

映画では、

1963年「素晴らしい悪女」
1965年「エレキの若大将」
1966年「クレージーだよ奇想天外」
     「お嫁においで」
     「パンチ野郎」

1968年「リオの若大将」
     「コント55号 世紀の大弱点」
     「恋のつむじ風」
     「昭和元禄 TOKYO・196X年」

1969年「ザ・タイガース 華やかなる招待」
     「ドリフターズですよ! 特訓特訓また特訓」
     「ドリフターズですよ! 全員突撃」
     「野蛮人のネクタイ」

1974年「キャロル」
     「炎の肖像」

1977年「不連続殺人事件」
     「実録不良少女 姦」
     「新宿乱れ街 いくまで待って」

1978年「最も危険な遊戯」
     「エロチックな関係」
     「桃尻娘 ピンク・ヒップ・ガール」

1979年「餌食」
     「スーパーGUNレディ ワニ分署」
     「夢一族 ザ・ライバル」

1980年「赤い暴行」
     「少女娼婦 けものみち」

1981年「ヨコハマBJブルース」
     「無力の王」
     「嗚呼! おんなたち 猥歌」

1982年「水のないプール」
     「コールガール」
     「さらば相棒」

1983年「十階のモスキート」
     「戦場のメリークリスマス」

1984年「ハンガー」


「嗚呼!おんなたち 猥歌」より。

1986年「コミック雑誌なんかいらない!」
1987年「さらば愛しき人よ」
1988年「花園の迷宮」
1989年「座頭市」
1990年「ブラック・レイン」
1992年「魚からダイオキシン!!」
     「エロティックな関係」

1999年「共犯者」

2002年「修羅のみち2 関西頂上作戦」
     「実録・安藤昇侠道伝 烈火」

2003年「すてごろ 梶原三兄弟激動昭和史」
     「赤目四十八瀧心中未遂」

2004年「IZO」
     「ザ・ゴールデン・カップス ワンモアタイム」

2008年「JOHNEN 定の愛」
2018年「星くず兄弟の新たな伝説(」

ほか、数多くの作品に出演され、

「コミック雑誌なんかいらない!」「魚からダイオキシン!!」「エロティックな関係」
では、主演の他、脚本も担当されるなど、多才な才能を発揮されています。

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死因は?

そのほか、2014年には、内田さんの決め台詞、「シェキナベイベー(Shake it up Baby)」をタイトルとした楽曲が、「HKT48」の指原莉乃さん主演の映画「薔薇色のブー子」の主題歌として、「内田裕也beat.指原莉乃」名義でリリースするなど、到底、80歳目前とは思えないほど若々しく、今もなお、守りに入らず、新しいことに挑戦し続けている内田さん。

2018年9月15日に妻の樹木希林さんが亡くなった際には、

人を助け 人のために祈り 人に尽くしてきたので天国に召されると思う。おつかれ様。安らかに眠ってください。見事な女性でした。

とコメントされていましたが、

その半年後の、2019年3月18日には、後を追うように「肺炎」のため、79歳で他界。

所属事務所によると、実は、近年、内田さんは闘病の日々だったそうで、それでも、ユーモアを忘れず、時に、世の中を憂い、怒り、自身のできることを模索しておられたとのことでした。

ご冥福をお祈りいたします。

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