1980年代後半、「Diamonds」「世界でいちばん熱い夏」などが大ヒットし、一躍人気アーティストの仲間入りを果たした、ガールズバンド「PRINCESS PRINCESS(プリンセスプリンセス)」。1996年に解散しましたが、2012年には、東日本大震災復興支援のために期間限定で再結成。2016年3月にその活動を終了しています。
赤坂小町⇒JULIAN MAMA
1983年2月、「TDKレコード」主催で、
ガールズバンドを結成するための、
楽器ごとのオーディションが行われると、
奥居香(現・岸谷香)さん、今野登茂子さん、
渡辺敦子さん、中山加奈子さん、富田京子さんが選出され、
バンド「赤坂小町」が誕生。
翌年の1984年には、
ファーストシングル「放課後授業」で、
デビューを果たすのですが、
赤坂小町「放課後授業」
アイドルとして売り出したい事務所(TDKレコード)に、
メンバーが違和感を覚えたことから、
1985年、事務所を「音楽座」に移籍。
しかし、この時の活動は、音楽とは程遠く、
雑誌「BOMB」や「PENTHOUSE」(2014年休刊)などで、
岸谷さんが、入浴姿を披露されたり、
メンバー間で、セクシャルな談義を繰り広げるなど、
性的な要素の強い企画に参加されています。
その後、バンド名を、
「JULIAN MAMA(ジュリアン・ママ)」
と改名するのですが、
この時代は、シングル、アルバムのリリースが、
1枚もないまま終わっています。
「PRINCESS PRINCESS」を結成
そして、1986年5月、
バンド名を「PRINCESS PRINCESS」に改名すると、
ミニアルバム「Kissで犯罪(クライム)」で、
メジャーデビュー。
「Kissで犯罪」
同年11月には、
事務所を「シンコーミュージック」に移籍し、
翌年の1987年4月に、
移籍後初のシングル「恋はバランス」をリリースされています。
「恋はバランス」
ただ、この曲は、中山さんが作詞されたものの、
作曲は、メンバーではなく、外部の人間で、
このことが、メンバーにとっては、
かなりの抵抗があったと言われています。
以降、「PRINCESS PRINCESS」は、
メンバーが作詞作曲することに、
こだわり続けたのでした。
注目を集める
また、1988年には、
3枚目のシングル「MY WILL」が、
スポーツ用品店「ヴィクトリア」の、
CMソングに抜擢。
これで注目を集めた、「PRINCESS PRINCESS」は、
歌番組「夜のヒットスタジオDELUXE」初出演も果たされています。
「夜のヒットスタジオ」より。
(左から)古舘伊知郎さん、奥居香さん、富田京子さん。
ちなみに、渡辺さんは、この番組に出演することが、
昔からの憧れだったそうで、その後、
何度出演しても緊張されたとのことでした♪
人気急上昇
この頃から、「PRINCESS PRINCESS」は、
次第に頭角を現していき、
同年2月には、4枚目のシングル、
「19 GROWING UP -ode to my buddy-」がヒットを記録し、
一躍、知名度を上げられます。
「19 GROWING UP -ode to my buddy-」
さらに、4月には、
渋谷公会堂でライブを行うのですが、
チケットは、発売開始から、
わずか2時間で完売するという、
凄まじい人気ぶり。
その後も、5月にリリースした、
5枚目のシングル「GO AWAY BOY」、
続く6枚目のシングル「GET CRAZY!」と、
「GET CRAZY!」
立て続けにヒットを記録すると、
そのまま勢いに乗り、
1989年1月には、
女性だけのバンドとしては初の、
日本武道館公演を果たされたのでした。
1989武道館LIVEより。
大ブレイク!
そして、1989年4月には、
7枚目のシングル「Diamonds」が、
オリコンチャート1位を獲得し、
ミリオンセラーを記録する大ヒット!
「Diamonds」
また、この大ヒットがきっかけで、
すでにEP(シングルレコード)盤でリリースしていた、
2ndシングル「世界でいちばん熱い夏」が、
7月にCD化されると、
こちらも、オリコンチャート1位を獲得。
「世界でいちばん熱い夏」
この年は、「第22回日本有線大賞」を受賞し、
「NHK紅白歌合戦」からもオファーがくるなど、
(「NHK紅白歌合戦」はスケジュールの都合で、
辞退されています)
「PRINCESS PRINCESS」は、
一躍、トップアーティストの、
仲間入りを果たされたのでした。
低迷そして解散
しかし、そんな「PRINCESS PRINCESS」も、
次第に人気が低迷。
1996年1月のラストツアー、
「PANIC TOUR’96 解散を遊ぼう」、
そして、2月リリースの、
シングル「夏の終わり」を最後に、
同年5月、ついに、
解散してしまうのでした。
解散理由は?
実は、1993年、
16枚目のシングル「だからハニー」が、
テレビドラマ「ダブルキッチン」の、
主題歌に起用されるのですが、
同年12月、アルバム「Majestic」をリリースした頃から、
コンサート動員数の減少や、CD売上の低迷が、
顕著に顕われてきたのです。
それで、次のアルバムの方向性を決める会議では、
議論が重ねられたのですが、
「年相応の女性としての成熟した完成度の高い音楽」
「ヘタでも勢いでかっこよく見せれる元気のいい音楽」
の2つに意見が分かれ、
平行線をたどったそうで、
結果、中山さんの、
「解散した方が良いんじゃない?」
との言葉に、メンバー全員が、
解散を決意したと言われています。
また、奥居さんは、
昔は曲を書くときは天から降ってくる感じで、
何も考えずに書けたのに、
時間が経つにつれて曲を書く際に考えるようになり、
そのことを悩んでいた。
と壁に突き当たってしまった、
感覚があったようですし、
売れなくなって、音楽性のことで、
揉めてしまうぐらいなら、
「友達のまま、解散したほうがいい」
というメンバーの気持ちも、
大きかったようですね。
復興支援のため再結成
さて、解散後は、それぞれ個々に、
活動されていたメンバーが、
2012年1月に起きた、
東日本大震災をきっかけに、
復興支援として、1年間の期間限定で、
再結成することを発表。
「仙台サンプラザホール」2days、
「日本道館」4days、
「東京ドーム」2days、
の復興支援ライブを開催されると、
ライブDVD、CDなどを発売し、
その売上を復興活動収益金として、
岩手県、宮城県、福島県にそれぞれ、
5000万円ずつ寄付されています。
そして、その後もしばらく、
復興支援活動を続けられ、
2016年3月のツアー、
「PRINCESS PRINCESS TOUR 2012-2016 再会 -FOREVER-」
を最後に、再結成活動を終了されています。
さて、いかがでしたでしょうか?
女性だけのバンドが、
現在ほど一般的ではなかった時代に、
前人未到の記録を打ち立てた、
「PRINCESS PRINCESS」。
そして、いまだ、
このようなバンドは生まれていません。
これっきりと言わず、
また、時々は、再結成してほしいですね♪
期待しています!!
https://www.youtube.com/watch?v=ImWhktb6Pnk