1989年、劇団「東京ヴォードヴィルショー」の養成所で知り合った山本圭壱さんと、お笑いコンビ「極楽とんぼ」を結成された、加藤浩次(かとう こうじ)さん。山本さんが謹慎中も、バラエティ番組や情報番組で、MCやキャスターとして活躍されていました。

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年齢は?出身は?身長は?本名は?

加藤さんは、1969年4月26日生まれ、
北海道小樽市のご出身、

身長176センチ、
体重76キロ、

血液型はO型、

学歴は、
北海道小樽潮陵高等学校卒業、

趣味は、
サッカー、スキー、

ちなみに、本名は加藤浩二(読み方同じ)です。

サッカー選手の夢を断念~芸能界に憧れるも・・・

加藤さんは、小学校3年生からサッカーを始められると、レギュラーとして活躍し、キャプテンを務められるほどで、将来はサッカー選手を夢見ていたのですが、

中学1年生の時に右肘の靭帯を断裂、さらに、高校進学直前にはアキレス腱を断裂する怪我を負い、その夢を断念。

そんな中、幼い頃から、テレビが好きだったこともあり、プロデューサーになりたいと考えるように。

ただ、北海道在住だった加藤さんにとって、芸能界はあまりにも遠く、高校卒業後の1988年、とりあえず、「西濃運輸」の札幌支店に就職されたのでした。

劇団「東京ヴォードヴィルショー」から「極楽とんぼ」へ

そんな中、加藤さんは、札幌のクラブで声をかけた女性が、劇団「東京ヴォードヴィルショー」の研究生だったそうで、

「北海道なのに、欽ちゃんバンドの人のところで?」

と、びっくりされると同時に、東京への憧れが再燃。

(中心メンバーの佐藤B作さんは、欽ちゃんバンドで、トロンボーンを担当されていました。)

加藤さんは、入社した年の12月末には会社を退職し、翌年の2月に上京されると、大道具などのアルバイトを経て、1989年4月、劇団「東京ヴォードヴィルショー」の養成所、「闘魂塾」の第4期生入団試験を受け、見事合格。


当時の加藤さん(21歳頃)。

すると、加藤さんは、そこで、同期だった山本圭壱さんと櫻庭博道さんの3人で、「極楽とんぼ」を結成されると、渋谷区にあるライブハウス「ラ・ママ」で行われる、お笑いライブ「ラ・ママ新人コント大会」に出場されたそうで、

加藤さんは、当時を振り返り、

そこで山本ともう一人で、渋谷の「ラ・ママ」でやってたコントライブに出始めたんです。ヘンな自信はありましたね。

ものの1年でテレビぐらい出られるだろうと。面白くないと思った人が手を挙げると、そこで終了させられてしまうんです。

ものの数分でダメでした。はっきり覚えてないけど、それが悔しかったんだと思います。そのとき「こっちをやってみたい!」っていう気持ちにスライドしたのかもしれないですね。

と、語っておられました。

吉本興業に入所

その後、加藤さんは、週刊誌「ヤングサンデー」内の広告で、吉本興業が東京進出にあたり、新人募集しているのを見つけると、山本さんとともに養成所を退団。当時、赤坂のマンションの一室だった東京吉本にネタ見せに行かれたのでした。

すると、何百人もの人がネタ見せに来ていて、とても競争率が高かったうえ、オーディションは1回きりではなく、毎週1本ずつ新ネタを披露しなければならず、とてもしんどかったそうです。

それでも、3、4ヶ月後に30~40組ほどに減り、さらに、その中から十数組に絞られた中に、加藤さんと山本さんは残ると、やっと、そこで、「バッタモン倶楽部」という、ライブをすることを聞かされたそうで、見事、加藤さんと山本さんは吉本入りを果たされたのでした。

(ちなみに、櫻庭さんはそのまま養成所に残られ、その後、劇団に入団。現在は、俳優として活動されています。)

テレビデビュー

そして、その後も、ネタ見せはずっと続き、良ければライブに出場でき、ダメなら次回に、という日々を過ごされると、1993年2月、ライブを見に来こられた、作家の伊藤正宏さんに見出され、「極楽とんぼ」は、若手芸人によるネタ見せ番組「新しい波」への出演が決定。

加藤さんは、

自分らよりウケてたり、面白いヤツらがいるのが悔しくて。それを越えたい。悔しさの連続でしたね。

そのとき、作家の伊藤(正宏)さんが見に来てくれて、変なコトやってるのがいるって、番組のネタ見せに呼んでくれたんです。

その頃僕らがやってたのは「ケンカになるコント」の前身。何でもないのがマジのケンカになる・・・のがしっくり来ていて。

と、明かされていました。

「めちゃ2イケてるッ!」でブレイク

そして、同年4月、「極楽とんぼ」は、「新しい波」の出演者の中から、「ナインティナイン」「よゐこ」、光浦靖子さんとともに、「とぶくすり」のレギュラーに抜擢されると、

その後も、1995年10月からは、「めちゃ2モテたいッ!」(初期は山本さんのみ出演)、続く1996年10月からは、「めちゃ2イケてるッ!」で、ゴールデンタイムに進出され、1998年頃からは、人気が急上昇。

翌年の1999年には、初の冠番組、「極楽とんぼのとび蹴りヴィーナス」が深夜枠で開始したのでした。


「極楽とんぼのとび蹴りヴィーナス」より。

MC、キャスターとして活躍

そんな中、加藤さんは、ピンとしても、2001年、キャスターとして出演予定だった、歌手の徳永英明さんが病気で降板されたことから、サッカーバラエティ番組「スーパーサッカー」のキャスターに抜擢。


「スーパーサッカー」より。(左から)国山ハセンさん、
加藤さん、小倉隆史さん、上村彩子さん。

また、2004年には、「2002日韓ワールドカップ」の際、同番組で一緒に仕事をしたスタッフから声をかけられ、「儲かりマンデー!!」(現「がっちりマンデー!!」
のキャスターに抜擢。


「がっちりマンデー!!」より。進藤晶子さんと加藤さん。

さらに、2006年には、同番組をみた日本テレビの幹部からオファーがあり、情報番組「スッキリ!!」のメインキャスターに抜擢。


「スッキリ!!」より。上重聡アナと加藤さん。

と、見事に流れに乗り、キャスターとしても活躍。

加藤さんは、

オレ、そもそも“逆らう”タイプだったんです。世の中の流れに対して、グーッと踏ん張って、乗っからないようにしてました。

それが30歳ぐらいから、任せてもいいかと思い始めたんです。「絶対そんなのやりたくねえ」とか「これがやりたい!」って、何のスキルも裏付けもなく主張するのは、若いヤツの特権だと思うんですけど、

僕を見た人が、「それをやった方がいいんじゃない」って思うことをやればいいんじゃないかなって(笑)

と、振り返っておられます。

相方の不祥事

ところが、2006年、相方の山本さんが不祥事を起してしまったことで、吉本興業は、山本さんとの契約を解除したうえ、「極楽とんぼ解散」と発表。「極楽とんぼ」は活動停止を余儀なくされたのでした。

ただ、加藤さんは、

「解散は自分と山本が決めること」

と、コンビ解散は否定。

以降、加藤さんは、キャスターを中心に活動を継続されつつも、やはり、ライブでの楽しさを忘れてはおらず、お笑い芸人として、また、「極楽とんぼ」として、活動したいと思っておられたようで、

2014年のインタビューでは、

世間から許していただけるなら、山本ともう1回・・・志半ばで止まっているので、僕としては、どこかで決着つけないといけないと思ってます。

僕が未来について思うことは、まず、極楽とんぼというコンビの着地をちゃんとさせたいということ。まずそこですかね、今は。

と、「極楽とんぼ」(山本さん)について、その思いを打ち明けられています。

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「極楽とんぼ」復活

そして、その翌年の2015年、山本さんは、下北沢駅前劇場で開催された、お笑いライブで芸能界復帰を果たし、実に9年ぶりに、「極楽とんぼ」が復活。

さらに、翌年の2016年11月には、吉本から契約解除されていた山本さんが、「よしもとクリエイティブエージェンシー」に復帰し、「極楽とんぼ」は正式にコンビ復活となったのでした。

さて、いかがでしたでしょうか?

相方の山本さんが、2016年、10年ぶりに「めちゃ2イケてるッ!」でテレビ復帰された際、山本さんと一緒に、視聴者に対して土下座をして謝罪された加藤さん。

いろいろな番組に、キャスターとして引張りだことなられたことからみても、加藤さんの誠実な人柄が伺えますね。

また、キャスターとして人気を博しながらも、自身の原点であるコントライブを、今なお愛しておられるところも、
ファンにとってはうれしいところ。

再出発を果たした「極楽とんぼ」としての活動がとても楽しみですね♪

応援しています!!

https://www.youtube.com/watch?v=XxJdRe4MJWQ

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