1995年、お笑いコンビ「次長課長」でデビューし、「baseよしもと」の黄金期を支えられた、河本準一(こうもと じゅんいち)さん。2002年に「baseよしもと」を卒業されると、東京へ進出。貧乏時代を経て2005年頃ブレイクを果たされています。


「~少年時代は家庭内暴力とイジメ~3人でNSC入り~」の続き

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「次長課長社長」結成~「次長課長」でデビュー

こうして、河本さん、井上聡さん、山下正人さんの3人は、
1994年4月、お笑いトリオ「次長課長社長」を結成。

ただ、「社長」の山下さんが、
結成わずか1年で岡山に帰ってしまい、

残った河本さんと井上さんは、
1995年、「心斎橋筋2丁目劇場」で、
コンビ「次長課長」としてデビュー。

(ちなみに、この頃は、現在とは逆で、河本さんがツッコミ、
 井上さんがボケを担当されていたそうですが、
 交代でボケとツッコミをすることもあったそうです。)

そして、1999年3月、
「心斎橋筋2丁目劇場」閉鎖後は、

同年にオープンした「baseよしもと」の、
主力メンバーとして活躍され、

チュートリアル、ロザン、$10、
サバンナ、ケンドーコバヤシさんらとともに、
毎日放送の「?マジっすか!」にレギュラー出演。

関西を中心に「baseよしもと」ブームを巻き起こし、
「baseよしもと」の黄金期を支えられたのでした。

東京に進出するも・・・

そんなお二人は、2002年9月には、
「baseよしもと」を卒業し、
翌月の10月、東京に進出。

ただ、関西で抜群の人気を誇ったお二人も、
東京では無名の存在で、一からのスタートとなり、
「ルミネtheよしもと」の舞台以外には、
ほとんど仕事がなく、

当時のお給料は、大阪時代の4分の1の、
4万円となってしまったそうです。

貧乏時代に結婚

しかし、そんな収入にもかかわらず、
河本さんは、翌年の2003年、

「大阪パフォーマンスドール」の、
重元直美さんと結婚。

重元直美さん

ほどなくして奥さんの妊娠が判明すると、
河本さんは、生活と、生まれてくる子どものため、
歌舞伎町の風俗案内所でアルバイトを始められ、

昼に「ルミネtheよしもと」の舞台に出演し、
終わってから、風俗案内所でアルバイト、
そして夕方になると、またルミネの舞台に出る、
という生活を送られたそうです。

そして、子どもが生まれると、
ルミネの近くにある託児所に子どもを預け、

引き続き、ルミネの舞台と、
風俗案内所のアルバイトの往復をされるのですが、

大阪で顔が知られている分、
お客として来た大阪のサラリーマンに、

兄ちゃん、なんか・・、おい、次長課長じゃねえの

と言われ、

「風俗案内所でバイトしてまんねん~」

と、言いながらごまかすのが、
一番きつかったそうです。

ちなみに、奥さんは、
銀座のクラブホステスとして働き始めるのですが、

着物が似合う美女だったため、
驚くような超有名芸能人から指名されるなど、

あっという間に、河本さんの10倍以上、
稼ぐようになったのだとか。

ただ、この頃住んでいた家は、
1階が豆腐屋、2階が居酒屋の、
3階だったそうで、

常にうるさく、また、夏には、
下の居酒屋の熱気で床が熱くなったそうで、

河本さんは、この頃には、
絶対戻りたくないとおっしゃっていました。

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一躍スターダムへ

そんな河本さんも、2003年秋頃から、
深夜番組「U-CDTV」のネタ見せのコーナー、
「お笑いCDTV」ライブに出演したことがきっかけで、
知名度が上がると、

「お笑いCDTV」終了後は、
同じスタッフが始められた「Goro’s Bar」に、
東京では初となるレギュラー出演。

そして、2005年には、細木数子さんの番組、
「ズバリ言うわよ!」に出演された際に、細木さんから、

「このコンビ名だと井上が貧乏になる」

と、改名を勧められるも拒否したことで、
人気が急上昇。

また、同年、「お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル」では、
ソロ曲のみならず、見事なハモりを披露し、
第3回大会優勝、第4回大会準優勝。

さらに、2006年には、「祝!ズバリ言うわよ!細木数子誕生祭!
2週連続2時間スペシャル第1夜!!」
で、かねてより大ファンだった、
ジャッキー・チェンさんと共演を果たされ、

河本さんが、

「お前に食わせるタンメンはねぇ!」

と、ご本人を目の前に、
モノマネをされたことなどから、
一躍スターダムに駆け上ったのですが・・・

「~生活保護を不正受給?~干されたの本当?~現在は?」に続く

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