大学在学中、テレビ番組「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」で放送作家としてデビューを果たすと、以降、数多くのバラエティー番組を手がけられた、喰始(たべ はじめ)さん。1984年には、「WAHAHA本舗」を旗揚げされ、2017年現在まで、全公演の作・演出を担当されています。


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プロフィール!

喰さんは、1947年12月25日生まれ、
香川県高松市のご出身です。

身長170センチ、

胸囲88.5センチ、
胴囲86センチ、

靴のサイズは25.5センチ、

出身大学は、
日本大学芸術学部(卒業か中退か不明)、

本名は、
川田耕作(かわだ こうさく)

だそうです。

高校時代は谷啓の大ファンだった

喰さんは、子どもの頃から映画が好きで、
映画監督になりたかったそうですが、

その一方で、1960年代前半は、
コミックバンド「ハナ肇とクレージーキャッツ」の大ファンで、

特に、谷啓さんの大ファンだったことから、
高校の3年間は、毎週のように、
ファンレターを書き続けられたのだとか。

「ハナ肇とクレージーキャッツ」。(左から)石橋エータローさん、安田伸さん、
谷啓さん、植木等さん、ハナ肇さん、桜井センリさん、犬塚弘さん。

喰さんは、その当時を振り返り、

そのころのクレージーは、
今でいうSMAPのようなもの。

谷さんは人気者だった。

読んでくれるとは思わなかったけれど、
ファンレターの最後には、
必ずギャグを書き込んでいましたよ。

と、おっしゃっていました。

ちなみに、芸名(ペンネーム)の「喰始」は、
谷啓さんにならって、漢字2文字にされたのだとか。

また、当初は、「食始」だったそうですが、
永六輔さんが「喰始」と書き間違えていたのを見て、
「喰始」に変更されたのだそうです。

天才放送作家として

その後、喰さんは、
大学に進学されるのですが、

永六輔さん主宰の作家集団に所属されると、
大学在学中に、ラジオの仕事を経て、
テレビ番組「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」で、
放送作家としてデビュー。

「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」より。
大橋巨泉さんと前田武彦さん。

喰さんは、その時のことを、

デビューは『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』。
高校時代に書きためたギャグが山ほどあったんで、
それを流しただけ。

100以上のギャグが載る台本の番組で、
3分の2がボクの書いたネタだったの。

と、おっしゃっており、

デビュー当初から笑いの才能を発揮し、

「天才放送作家が現れた」

と、高く評価されたのでした。

テレビ業界の仕事が激減

以降、喰さんは、
バラエティー番組の制作に携わるのですが、

テレビ業界が、次第に、作家が制作した番組よりも、
企画重視にシフトしていったことで、

喰さんは、この視聴率至上主義の考えが、
面白くないと感じられ、20代後半の時、

「よ~し、それなら面白いモノをつくりたい」

と、言ったところ、

それが生意気に聞こえたのか、以来、テレビから、
一切声がかからなくなってしまったのだとか。

そのため、喰さんは、
井上陽水さんのコンサートを演出したり、
スポーツ紙の編集などをされるなど、
活動の場を広げていかれたのでした。

「WAHAHA本舗」を結成

そんなある時、喰さんは、
劇団「東京ヴォードヴィルショー」と、
一緒に仕事をされたのをきっかけに、

同劇団の若手公演の、
演出を担当することになるのですが、

その若手であった、柴田理恵さん、
久本雅美さん、佐藤正弘さん、村松利史さん、
渡辺信子さん(のちに退団)と意気投合すると、

1984年、5人とともに、
「WAHAHA本舗」を旗揚げ。

「WAHAHA本舗」旗揚げ公演「村の力」より。
(後列左から)村松利史さん、佐藤正宏さん、(なぜか)林家こぶ平さん、
(前列左から)柴田さん、久本雅美さん、渡辺信子さん。

当初は、全員、
お芝居をやりたがっていたそうですが、

喰さんが、面白さを追求していくうちに、
ストーリーがどんどん抜け落ちていき、

ついに、2年目の年末の公演では、
ストーリーを全部捨てて、思いついた面白いことだけを、
脈絡なくつなげてみたところ、

連日、お客さんが入れないほどの、
大反響を呼んだのでした。

タモリさんが観に来られたものの、入れず、
 帰られたことが、伝説となっています。)

以降、喰さんは、年間数十本という作品の、
作・演出を全て手がけられているのですが、
台本は一切書かないそうで、

喰さんは、その理由を、

演じ手は、出来が悪いと作家のせいにしてしまう。
手柄も失敗もすべて身につけるためには、
責任をほかに預けちゃダメなんですよ。

と、おっしゃっていました。

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創価学会?

ところで、喰さんを「創価学会」で、
多くの方が検索されています。

というのも、久本雅美さんと柴田理恵さんが、
創価学会の会員であることが有名なことから、

「WAHAHA本舗」のメンバー全員が創価学会で、
創価学会に入らなければ、「WAHAHA本舗」に入れない。

などの噂が、まことしやかに、
ささやかれているからです。

また、喰さんが、
創価学会の関連企業である製作プロダクション、
「シナノ企画」の作品を製作されたことがあったのも、

そのようなうわさが流れる原因と、
なっていたようです。

ただ、喰さんは、
「創価学会の学会員ではないこと」
「無宗教であること」
を、明言されており、
上記のうわさは、単なるデマのようです。

ちなみに、「WAHAHA本舗」の元代表(現在も所属)の、
佐藤正宏さんも創価学会の学会員ではないそうなので、

「WAHAHA本舗」「創価学会」
ではないことは明らかですね。

久本さんと応援演説をする柴田さん。

さて、いかがでしたでしょうか?

2006年、NHK紅白歌合戦で、
「DJ OZMA」さんが、裸に見えるボディースーツを着用し、
視聴者から非難が殺到する騒動がありましたが、

そのボディースーツの持ち主は、
なんと、喰さんだそうで、

もともと「WAHAHA本舗」で使用していたものを、
芝居を見に来ていた「DJ OZMA」さんが、
おもしろいと思われ、借りられたのだとか。

もしかしたら、昔、喰さんに、
テレビの仕事が来なくなったのは、

喰さんが生意気だったからだけではなく、
喰さんの発想がテレビでは表現できないくらい、
自由過ぎるのが原因だったのかもしれませんね。

とはいえ、これからも、
子どものような自由な発想のまま、
創作活動を続けてほしいものです。

応援しています!!

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